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葦津珍彦「時の流れ」を読み解く(12)「週間展望」第2回「南北対立の新段階 独立朝鮮の政治情勢」

「週間展望」第2回(神社新報、昭和23年5月24日)

 前回は昭和23年3月22日発行の神社新報第89号1面に掲載された「週間展望」第1回「芦田新内閣成立 難航を重ねた組閣工作」を取り上げた。
 今回は昭和23年5月24日発行の神社新報第97号1面に掲載された週間展望第2回「南北対立の新段階 独立朝鮮の政治情勢」を取り上げる。署名は矢島三郎となっている。
 なお前回も述べたように、週間展望は葦津以外の人物も執筆しており、例えばこの5月においても3日付の神社新報に長谷川進一という人物による週間展望「イタリア総選挙以後」とのコラムが掲載されるなどしているが、これらについては葦津執筆とは考え難いため除外し、葦津の執筆と考えて間違いのない本コラムを週間展望第2回として取り上げた。

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 本コラムではこの年5月10日おこなわれた南朝鮮における総選挙をテーマに、今後の朝鮮半島情勢について論じられている。この総選挙により大韓民国が成立し、南北の分断と対立がはじまっていく。

南部単独選挙と南北分断、対立へ

 終戦後の朝鮮半島は北部をソ連が、南部を米軍が占領し、南部では米軍の軍政が敷かれた。米軍政下の南部では独立運動下らによる複数の臨時政府なども樹立され、また右から左まで各種の政治党派の対立などもあったが、米軍は特別どの勢力を支持することもなかった。
 そうしたなかでソ連は朝鮮半島の国際信託統治を提案し、米ソの協議がなされたが、信託統治に反対する南部の李承晩らの扱いをめぐって米ソが対立し、信託統治をめぐる協議は決裂した。
 そして米国は国連監視下での朝鮮半島全体での総選挙と統一政府樹立を目指し、国連は総選挙実施のため国連朝鮮委員団(UNTCOK)を朝鮮半島に派遣したが、ソ連はUNTCOKの入北を拒んだため、結局UNTCOKは南部での総選挙の実施を決定し、ついに5月10日に南部単独選挙が実施されたのである。
 本コラムではこのあたりの情勢が次のように記されている。

 然るに朝鮮半島は北緯三八度線を境とし、米ソ両軍に二分された形となり、朝鮮独立達成へのコースも極めて複雑困難なコースをたどらざるを得ぬことになつた。即ち朝鮮独立のために、一九四五年十二月にモスクワ会議は一応の取り决めをしたけれども、その後の米ソ両国の交渉は締結に至らず、遂に昨年国際連合はソ連の反対を排して朝鮮に於ける自由なる総選挙の施行を决議した。ソ連はこの方針に反対し、ために北鮮における総選挙は絶望となり、国連はやむなく南鮮のみで総選挙を断行せしめることにした。

 モスクワ会議とは信託統治をめぐる米ソの協議のことであろう。
 こうした実施された南部単独選挙については、ソ連統治下の北部の行政組織である北朝鮮人民委員会も強く反対を主張するとともに、南部の左翼勢力ばかりでなく金九や金奎植らも反対するなど、南部の中でも左右を問わず様々な反対や妨害があったようだ。

 共産党をはじめ左翼政党は、この南鮮総選挙に反対して「もしも南鮮だけで選挙を行ひ国会や政府を樹立ずる様なことになれば、朝鮮の国土と民族とは永遠に二分されたままの悲境を脱しがたいであらう。総選挙は米ソ両国の外国軍隊の撤退の後に、全鮮において統一的にのみ行はるべきである」と称して国連勧告の総選挙をボイコツト(拒否)するやうに主張した。彼等の反対運動は遂に左翼のみならず、南鮮の右翼の間にも支持者を得るに至り、右翼民族主義者として著名なる金九氏(長く重慶国民党と提携して抗日運動に努めし独立派の長老)、金奎植氏(前立法議院長たりし右翼の学者)等までもが、北鮮側の主張に相応じてこれを支持し、三八度線を越へて平壌に赴き北鮮の金日成、金科奉氏等と共に、朝鮮連席会議に出席して南鮮選挙反対の决議に参加した。これ等の有力なる右翼指導者の態度は、朝鮮の詳しい政情を知り得ない日本の人々には、頗る奇異のを与へたが、これについては右翼政治家が北方赤軍の威力を恐れる余りに、心ならずもこの様な態度に出たのであるとか、或は南鮮の親米主義者李承晩博士(永く在米し朝鮮独立を主張し終戦後帰国せし人)に対する反感からであるとか、様々の推測が行はれてゐるが、いま俄に断定しがたいものがあるやうである。

 こうした情勢にもかかわらず、南部単独選挙は米国主導で進み、最終的には李承晩を中心とする大韓民国政府が成立することになる。
 しかし李承晩を中心とする政権の樹立に反発するグループ、特に左派の反米を訴えるグループは、朝鮮半島からの米ソ両軍の同時撤退を主張しており、この主張はに一定の説得力があったようだ。
 そして葦津は次のように本コラムをまとめる。

 右の様な事情は明白ではあるけれども朝鮮の独立が国際的にも公約されてゐる限り南鮮の政治家も外国軍隊の威力的保障に何時までも依存してゐる訳にもいかぬ。何と云つても米ソ両軍の同時撤退要求といふスローガンは朝鮮の民族大衆に大きく強くアツピールする力を有つてゐる。新政府はこの課題に対して解决をつけねばならぬ。今回の選挙で第一党の地位を占めた大韓独立促成国民会の党首であり大統領に推されるものと予想されてゐる李承晩博士は、この問題について次の様に述べてゐる。

「新政府がまづ最初に行ふことは南鮮防衛軍の創設である――われわれは警官隊、右翼青年団体、旧日本軍が訓練した朝鮮軍人を中心に南鮮防衛軍を直ちに編成することが出来る」

と(京城発九日UP電)。
 かくして南北朝鮮の統一的独立への展望は暗く、局面は今のところ新しい抗争の段階へ一進展を示すもののやうである。

と。実際にその後、李承晩を中心とする政権、成立したばかりの大韓民国政府は国軍を編成していく。この時期に米軍が朝鮮半島から完全に撤退したかは不明だが、マッカーサーは日本統治に集中していたし、いわゆるアチソン・ラインからも朝鮮半島ははずれ、米国は朝鮮半島に力点を置いていなかった。ある意味では米ソ両軍の同時撤退は実現したわけだが、その間隙をついたのが金日成率いる北朝鮮の武力南進であるわけだが、ともあれこの時点では葦津のいうように南北は「新しい抗争の段階へ一進展を示す」状況であった。

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