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葦津珍彦「時の流れ」を読み解く(3)「時局展望」第3回「ゼネスト中止命令と労働運動の転換」

「時局展望」(昭和22年2月10日)第3回

 前回は葦津珍彦が神社新報紙上で連載したコラム「時の流れ」の前身であるコラム「時局展望」第2回「自信なき各派 連立政権工作の挫折」について振り返った。
 今回は昭和22年2月10日発行の神社新報第32号の1面に掲載された「時局展望」第3回を見てみたい。論題は「ゼネスト中止命令と労働運動の転換」、署名は「矢島生」となっている。

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昭和22年2月10日神社新報コラム「時局展望」

 本コラムでは、占領期を振り返る際に必ず触れられるといってもいい大きな出来事であるマッカーサーによる二・一ゼネストの中止命令について取り上げられている。
 二・一ゼネストとは、昭和22年2月1日に実施が宣言されていた大規模なゼネストのことである。
 占領軍が民主化の観点から戦争中禁じられていた労働運動を容認したため、折からのインフレや厳しい経済情勢もあって、労働運動は当時非常に高揚していた。前年5月にはこちらも有名な食糧メーデーが発生しており、徳田球一指導部の日本共産党は吉田茂内閣打倒を掲げ、労働組合によるストライキ闘争を呼びかけるなど非常に緊迫した情勢であった。
 昭和22年の年頭、吉田によるいわゆる「労働組合不逞の輩」発言が飛び出すと、官公庁労働者や国鉄、逓信労働者などの組合からなる全官公庁労組拡大共同闘争委員会は反発を強め、生活権確保を求めて2月1日を要求受け入れの期限日とするゼネラルストライキを宣言した。
 しかし、占領軍はすでに激しい労働運動を警戒するようになっており、要求受け入れ期限日の前日、マッカーサーがゼネストの中止を命令し、共同闘争委員長の伊井弥四郎にゼネストの中止を全国にラジオで放送させた。また伊井は翌日の2月1日、占領政策に違反したとして逮捕された。

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ゼネスト中止を涙ながらに説明する伊井弥四郎:中部経済新聞2017年6月24日より

労働運動の大きな転換点

 こうした一連の二・一ゼネストをめぐる動きについて、葦津は非常に冷静であった。葦津はいう、

 このゼネストを通じて感じさせられることは、一方に於ては政府の無力無能であり、一方に於ては組合の無智無策である。政府の無力無能に就ては既に明白すぎるから贅言を用ゐぬが組合指導者の無智も亦甚しいものがあつた。今回の連合軍司令部の命令は、苟も日本の政治と国際情勢に関する一握の常識ある者には、当然に予想された所であつて意外でも不可解でもない。組合幹部が交渉決裂の意思表明をする時までに、この命令の発せられることを予期してゐなかつたとすれば、余りにもその無智不見識に驚くの外ない。

と。
 確かにこのころの吉田政権は安定性を欠き、統治能力が十分に発揮できていなかった。そうしなかで労働運動が勃興し、様々な要求を繰り出すような社会情勢が現出することは当然理解できる。葦津も「時局展望」第2回でこのころの吉田政権を批判している。
 一方で労働組合の側もあまりに楽観的であった。このころは占領軍を「解放軍」と理解する向きもあり、日本の民主化という占領の大きな方向性のなかで、最後の最後は占領軍もゼネストに理解を示すと組合の側も考えていたのかもしれない。
 その意味では、占領軍と緊張関係にありながら早くから神社・神道をどう守っていくか思考し、実践していた葦津の方が、占領軍の意図を見抜くのに敏だったのかもしれない。
 その上で葦津は、二・一ゼネストの中止は、日本の労働運動の重大な転換点だとする。

 今次ゼネストの失敗は日本労働運動に重大なる転換期の来たことを意味する。「相手の力を測り味方の力を測つて」巧妙なる闘争と共に妥協の必要なることを主張する所の現実主義的組合指導の意義を改めて大衆に認識させる好機か与へられたものともいへよう。現実主義的な社会党総同盟の右翼組合がこの機を利用してかなりの大衆を獲得するのではないかと予想させる。

 二・一ゼネストにいたる労働運動の高揚は、これ以降も持続していき、この年3月には各労働組合のナショナルセンターである全国労働組合連絡協議会が結成される。
 しかし、マッカーサーの指示に基づき、政府は政令第201号をもって公務員の労働権を制限し、これまでのような戦闘的な労働運動の展開は難しくなっていく。組合内部でも二・一ゼネスト失敗の総括から、戦闘的な労働運動への反省の声も出て、総同盟は少しずつ反共・労使協調に舵をきっていくことになる。葦津のいう「日本労働運動に重大なる転換期の来た」というのは、まさにその通りであった。
 また、葦津のいう労働運動での総同盟の影響力の拡大については不明なところもあるが、労働運動の変化は当然、これ以降の政治潮流にも変化をもたらすのであり、ゼネスト中止後、マッカーサーが指示した解散総選挙によって吉田政権が倒れ、総同盟を支持母体とする社会党右派の片山哲を首班とする芦田均の民主党と三木武夫の国民協同党の連立による中道政権の誕生など、総同盟の政治的影響力の拡大や、二・一ゼネストに向かって高まっていった変革情勢の収束など、様々な政治的な情勢変化をもたらしたことは事実であった。
 二・一ゼネストとその失敗について、ジョン・ダワーは「日本労働史上最大の事件」「『平和革命』という急進的な構想にとっての分水嶺」「政治的伝説の世界のできごと」と印象的な位置づけをしているが、こうした理解がけして大袈裟でないことは、当時の情勢をリアルタイムにリポートし分析した葦津のコラムからもわかるだろう。

 

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