自分の中の「汚さ」を忘れたくない話

キラキラしている人間が苦手だ。
もっといえば、綺麗に身を繕ったり毎日豊かな生活を嗜もうと意識を高くしている人間が苦手だ。

多分、自分もそうなれば幾分かは人生が楽になるだろうなとは思いつつ、中々踏み出せないでいる。

生まれてこの方不安だらけだし、不安が自分の中から消えること、極端な話幸せになる事にずっと抵抗があった。

人間が一番ストレスに感じる事は「変化」だとどこかで聞いた事があるので自分のそういう心理もそこに起因するものだと思っていたがどうやら違った様だ。

最近気付いたが、綺麗だったり豊かな暮らしをするようになりたくないと思う理由は、自分の中の「汚さ」を忘れてしまう事が怖いのだという事に気付いた。

私は持論として「人間だって所詮動物で、生存競争に勝つために自分より弱いと判断したものに対して攻撃的になる本能を持っているものだ」と思っている。

社会的に弱者をいたぶる行為は「汚い」とされているが、それは動物故の本能がさせるものなので、この先何年・何十年・何百年経っても差別や偏見は無くなる事はないし、だからこそその本能とどう向き合っていくかが大事だと思う。故に一般的に言われる「綺麗事」が大嫌いだ。
(差別をなくそう、とか皆仲良く、みたいなこととか)

しかし、人間社会において人々はある一定の「綺麗さ」を求めている。
それは優雅な暮らしであったり、弱者をいたぶらない高潔さだったり定義される事もあるだろう。

私は、自分が綺麗さを求めることによって私自身が自分の中の「汚さ」を忘れたり、否定する事を恐れている。
人間の欲望は際限ないので、一度綺麗さを求めてしまうと綺麗じゃない自分には戻りたくないし、より綺麗であろうとする。

そうなると自分の中の「汚さ」を忘れたり否定し出すのではないかと思うのだ。そうなると、平気で他者を見下したり誰かを傷つけても平気なメンタルになってしまう気がする。

これはあくまで個人的な好き嫌いの話だが、所謂インフルエンサーがインスタなどで綺麗な食事の画像をあげているのは不快に感じる。
「綺麗さ」を」過剰にアピールしている気がするからだ。

だから、私はアル中カラカラなどが好きだ。
不衛生な動画が苦手な方は絶対に検索したりしないで下さい

アル中カラカラことwawawaさんの動画は極めて「欲望」というワードをストレートに投げてきて、とても好感が持てる。
他人の目線や世間体なんて知ったこっちゃあるか、俺は俺の食いてぇもんを食うんだ、みたいな強い意志を感じる。
(実際動画を投稿している本人がどういう意図かは知らんが)

彼が動画を投稿しなくなって久しいが、それでも過去の動画を今でも私は見返したりしている。

恥も外聞もなく、私もある程度の理性を持ちつつも、欲望のまま生きていたいと思う。じゃないと「綺麗さ」を求めて自分の中の大事な部分が欠けてしまう気がするので。

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