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【小説】重ねた罪に侵食の報いを【第二話】

了知

 開いた戸から兄さんの顔が見えた時、何故だかまた泣きそうになってしまった。
俺が人を殺めている事を知ったらなんて思うんだろうか。命を奪って得た金で生きながらえている事をどう感じるんだろうか。何年も何年も前に押し殺したはずの感情がどっと湧き出て、忽ちその場にしゃがみ込んでしまう。
「ロージェ!」
兄さんが心配して駆け寄ってくる。
「ごめん、何でもないんだ」
「何でもない訳がないよ」
背中を摩ろうと伸ばされた手が俺の体に触れた時。

——僕はロージェに何をしてやれるんだろうか

"気持ち"が言葉となってが意識に入り込む。駄目だ。これ以上は駄目だ。何も出来なくなる。
「本当に何でもないんだ。少し疲れているだけだと思う」
「……そっか」
兄さんはそれ以上何も言わなかった。自分の口からも返せる言葉が出てこない。翌朝を迎えても上手に会話が出来ないまま、俺は街へ出た。

 日中の仕事は身に入らなかった。昨日起きた出来事の一つ一つが頭の中に過り、自分に何が起きてしまったのかという不安が身体中を蝕んでいく。あの老人が死に際にかけた呪いが答えじゃないかとどうしても思ってしまう。だとしたら相当嫌な奴だ。差し違えもせず相手に苦しみを与えるなんて、そういう性分が自ら死を招いたんだぞと責任転嫁したくなるが、殺したのは俺だ。相手側からの報復も受け入れる覚悟で入ったこの世界なのに、命を奪った責任を手放そうとしている自分がいる。分かっていた筈なのに、今更そんな事を考えてしまうのはどうかしている。ぐるぐるぐるぐると脳内で独り言を重ねている内に、気付けば日が暮れそうになっていた。もう時間だ。とっとと論文書を奪わないといけない。
「ロージェくん、一度でいいから考えてくれないか?」
厄介なギルド長が話しかけてくる。

——きちんと話をしたい

まただ、また意識が伝わってきた。でも分かっていても放っておけない。
「……少しだけ、お話を伺います」
自分の感情に流されるまま返答をしてしまい、対話を許してしまった。
「前から伝えている通り、次期ギルド長の件なんだが……」
どういう事を言われるかは分かっていた。ただ、そこまで許してしまうと都合が悪くなる。いつもならすんなり断れるのにどうも断りきれない。
「どうだろうか。君にとっても悪い話ではないと思うが」
分かっている。何もなければ喜んで首を縦に振るだろう。だがそんな事は出来ない。いくら貰える金が増えるとはいえ、そんなのは微々たるものだ。時間と責任が増えて身動きが取れなくなるのは避けたい。
「申し訳ありませんが、その話はお断り……」

——断ってほしくない

「……考えておきます」
「そうかそうか、直ぐにとは言わないが、前向きに捉えてもらえたら助かるよ」
「はい、失礼します」
逃げる様にその場を後にする。その場凌ぎとはいえ、このままではまずい。でもそんな事を考えている時間もなかった。夜が更けるのを待ち、目的地へ向かう。

 昨日の事もあり、学者ギルドの周辺は警備の目が厳しくなっていた。入念に侵入経路を構築し、慎重に足を進める。人という人の目を掻い潜り、ギナの部屋へなんとか入ることが出来た。が。
「嘘だろ……」
昨晩まで器具や文献で溢れていたこの場所は、もぬけの殻だった。机や棚など全て綺麗に片付けられ、床に染みた血の色だけが目立っている。やってしまった。論文書がどこに持っていかれたなんてもう知る術もない。警備兵や学者に扮して内部から探ることも考えたが、それで取り戻せる確証もなければ正体を知られた時の危険性の方がよっぽど高い。なにより今の状態で誰かに問い詰められた時に冷静でいられる自信もない。失意の中、この失態を報告しに行くしかなった。

「依頼不達成。報酬はなしだ」
「……あぁ、分かっている」
このまま呪いが続いていけば、こんな事の繰り返しになる。なんとかしないといけない。
「なぁ、別件で聞きたいことがある」
少しでもこの呪いを解く手掛かりが掴めれば。
「なんだ?」
「数日前に仕留めた老人の依頼人なんだが」
「……依頼人の情報は秘匿される決まりになっている。そんな事も忘れたのか」
「そう、だよな」
「本当にどうしてしまったんだ?」
「なんでもない。忘れてくれ」
たまらずその場を飛び出す。物事はこんなにも急に立ちいかなくなるのか。分かっていた事も分からなくなり、犯す筈がなかった失態を犯し続けている。このまま家に戻ったらまた泣いてしまうんだろう。それは嫌だ。そう思うと自然に身体は老人の居た家へ進み始めていた。そこで何かを見つけられる事を祈りながら。

惨痛

 小屋へ辿り着き、灯りを灯す。以前は暗がりで分からなかったが、床に散らばった怪しげな薬や壁に掛けられた小動物の死骸などが次々と目に入ってきた。主を亡くしたせいかそこら中に虫が集り、保存用だと思われる食物は獣によって食い散らかされている。酷い有様だ。だが混然とした空間の中でも、一際清潔さが保たれた紙の束が机の上に置かれていた。手記だろうか。手掛かりを得たい一心で読み込み始める。

「『逡巡』。事象の判断を遮る。エイソアの実とキリアの羽で発火。ムナの肝での解呪検証は成功」
「『憑信』。与えられた言葉全てを信じ続ける。アルハの種子単独で発火。解呪の見込みなし」
「『遺却』。術者の記憶を忘れさせる。ペウマの眼、ニリスの鬣どちらとも単独で発火。解呪の見込みなし」

なんだこれは。あの老人はひたすら誰かを呪う事を続けていたのか。あまりの不可解さと恐ろしさでその場にへたり込んでしまう。俺は手を出してはいけない相手に手を出してしまったのかもしれない。手記にはその後も老人が生み出したであろう呪いの名前や効果が書き連ねられていた。一体どれだけの人間がこれらの呪いにかかり、苦しめられていったのだろうか。文字の続きを追おうとしても恐怖で目が動かない。だが、所々に記された”解呪検証は成功”いう言葉に少しの希望を見出せたのも事実だった。恐らく「投影」の事もどこかに書かれている筈で、そこに「見込みなし」となければ俺は元に戻れる。縋るような思いで再び手記に目を向けた。

「『投影』。相手の感情を慮り続ける。イシタの爪とオグノの葉、リーリの脳で発火。ディラエイの茎で解呪検証に成功」

安堵と共に疑念が頭を過ぎった。確かに「投影」の呪いは解けると書かれている。書かれてはいるが、問題はその方法だ。ディラエイなんて毒素に塗れた花じゃないか。そんなものの茎を自分に使ったらどうなってしまうんだ。明日にでも楽になれるかもしれないのに、何故また問題が一つ増えてしまうんだ。だけど立ち止まってはいられない。そもそもの使い方は書かれてないし、ひょっとしたら解呪の手順が決まっているのかもしれない。手記を机に戻し、呪いの解き方について書かれた文献がないか探してみる。日はもう登ろうとしていた。

 結局、解呪について書かれたものは見つからなかった。疲労と焦燥でいっぱいの身体を引きずり家に戻ると、悲しそうな顔をした兄さんが佇んでいた。
「ロージェ、もう朝だよ?」
「ごめん、長引いちゃって、さ」

——本当にどうしたの
——なんで何も言ってくれないんだろう
——どうしたら話してくれるのかな

いつも以上に頭の中が言葉で埋め尽くされる。呪いの力は日に日に増している事がはっきりと分かった。いっそのことディラエイの茎を口にしてみようか。死んだら死んだでもう楽になれるのかもしれない。朦朧とした意識の中でそんなことを考えながら、部屋に戻って泥のように眠る。

 目を覚ますと日が登っていた。どうやら丸一日寝ていたらしい。兄さんはまだ夢の中みたいだ。流石に心配をかけすぎているので書き置きだけ残してて出ていこう。
「ごめん、今かなり忙しくて、大変なんだ。あともう少ししたら落ち着くからさ」
本当はもっと色々言葉を残しかったけど、”書き置きを読んだ兄さん"の顔が頭に浮かんで何も書けなかった。最低限、伝えられる事だけ伝えられれば今はそれでいい。

 薬草師ギルドに着くと、ギルド長が血相を変えて飛び出してきた。
「ロージェくん! 何かあったのかね!」
無断で休んでしまったんだ、そう思われるのも仕方ない。
「いえ、少し体調を崩してしまっただけです。連絡も出来ずすみません」
「無事ならいいんだが」
「もう大丈夫です。……ギルド長、一つお尋ねしたいのですが」
余計な話をしている場合じゃない。早くディラエイの茎について聞かないといけない。
「あぁ、なんだね?」
「ディラエイの茎について、人命に役立つ用途があるという話は聞いた事ありませんか?」
「……なんだって?」
「いえ、知人から譲ってくれないかと言われまして」
「聞いた事ないな。そもそもアレの扱いは厳格に定められているんだ。他の用途が見つかったとて、軽々しく誰かに渡して良いものじゃない」
「そう……ですよね」
分かってはいた。そんな発見があればギルド内は忽ち大騒ぎになる。
「念の為の確認でした。知人には譲れないと伝えておきます」
「頼んだよ。では、私は今日一日出るのでよろしく。この間の話は、また後日ゆっくりと」
「……はい」
仕事を終えた後、ディラエイの原生区域に向かい少しばかり茎を摘む。これをどう使えば俺は助かるんだろうか。昨日は死んでもいいかと思ったものの、やっぱり口に運ぶ勇気は出ない。試しにその辺の草食動物で試してみてもいいかもしれない。一度食べさせて動かなくなれば、確実に体内に入れては駄目なものと理解できる。そして帰り際、一頭の子鹿を見かけた。主食となる草にディラエイの茎を混ぜ、脅かさないようにそっと近づく。

——食べたくなかった
——なんで食べさせたの
——まだ生きていたかったのに

「なん……で」
呆然とするしかなかった。まさか"子鹿の感情"まで意識に入ってくるなんて。食べさせた後まで考えてしまうなんて。ひょっとしたらディラエイの茎に解呪の効果なんてなくて、命を落とす事で呪いから解放されるという意味なんだろうか。だったらもういっそのこと、楽になった方がいいのかもしれない。今まで散々命を奪ってきたなら、それは当然の報いだ。意を決して茎を口に運ぶ。ごめん兄さん、もう、俺は駄目なんだ。

——ロージェ、どうして

この場にいない、兄さんの悲しむ声。
俺が居なくなった後の兄さんが絶望している姿。
自分で生きることも難しくなってただ衰弱していく兄さんの身体。
その全てが頭の中に流れ込んできた。

「死ぬことも出来ないのかよ……」
もう、本当にどうしようもなかった。

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