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【小説】重ねた罪に侵食の報いを【第三話】

再起

 どれくらいの時が過ぎたんだろうか。殺すことも死ぬことも出来ず、ただ息をすることでしか自分を確かめられない。兄さんの薬と金はみるみる減っていく一方だった。
「ご飯、ここに置いておくね」
動けない俺の代わりに兄さんが食事の用意をしてくれるようになった。
「早く、良くなってね」

——早く、良くなってね

言葉と同時に"気持ち"も頭に響く。呪いは最早そんな強さまで達している。兄さんだって本当は動くだけでも辛い筈なのに、それでもなんとか俺の世話をしてくれている。この状況をなんとかしたい。こんな事を考えるのは何回目なんだろうか。そう思った時、壁の向こうから大きな音がした。嫌な予感がする。
「兄さん!」
必死の思いで這って出た部屋の先。兄さんは冷たい床に横たわっていた。
「しっかり、しっかりして!」
「ごめんね、少し疲れちゃったみたいだ……」
よかった、意識はある。でも俺のせいだ。俺が碌に働けなくなったから、兄さんはこうなってしまった。
「ごめん、ごめん……。俺、ちゃんとするからさ。ちゃんとするから、兄さんは自分の身体を大事にしてよ」
「ロージェも大変だろう? 僕がしっかりしてれば、こんなことには……」
「大丈夫だよ。もう無理しないで」
もういっそ人の命を奪うことをやめた方がいいんだろう。これは俺に対する罰だ。罰は受け入れなければならない。暗殺なんて愚行から足を洗うべきだ。稼げる金は減るけど、このままでいるよりは断然良いに決まっている。真面目に働いて、兄さんを助けよう。

 それから数日が経った。兄さんはずっと寝込んでいる。
「今日からまた頑張ってくるね」
一言だけ添えた書き置きだけ残し、街に向かう。久々に動かした足はとても重く、道のりが困難に感じる。だけどこんな事で根を上げてはいられない。
「今日からまた、よろしくお願いします」
久々に対面したギルド長に挨拶を行うと、にこやかに返事を返してくれた。
「待っていたよ、ロージェくん」

——待っていたよ、ロージェくん

相変わらず言葉と"気持ち"が同時に頭に届くのは慣れない。でも、こうやって生きるしかないんだ。そう自分に言い聞かせる。素材の管理、薬草の手配、薬の調合。やることは多いが身体は覚えていたみたいで、躓くことなくこなしていける。
「ロージェくん」
仕事が終わり、ギルド長が話しかけてくる。
「例の件ですか?」
「あぁ」
次期ギルド長の話だろう。もう断る必要もない。潔く受け入れよう。
「戻ってきたばかりだが、やはり君ほど出来る人間はいない。時間をかけてもいいから、私の跡を継いでくれんかね」
「俺もそのつもりでいました。直ぐには難しいですが、時が来くれば有り難くその座を頂戴します」
「ありがとう……! 忙しくなるかもしれんが、その分稼ぎも良くなる。お兄さんの事で大変だろうけども私に出来ることは何でもするから遠慮せず言ってくれ!」
「はい、ありがとうございます。それでは」
稼ぎが良くなるといっても、今までよりかは確実に少なくなる。それでもやっていくしかないんだ。

 なんとか一日を終え、帰路を辿る。老人から受けた呪いは今の所悪い方向に作用していない。この調子で続けていけば問題ないのかもしれない。

——誰かの命を奪っておいて?
——どの口が言えるんだよ
——よく堂々と外に出られるな

「……っ!」
とうとう存在しない人物まで、なのか。脳内に直接響く声、罵倒、憤りは止むことなく俺を襲い続ける。そうだよな、やっぱりそうなんだよな。これで全てが丸く収まる訳がない。過ちは無くなったことにならない。俺だって罪を償いたい。この命でそれが贖えるなら喜んで差し出すさ。でも駄目なんだ。死ぬことすら許されないんだ。どうしたらいいんだよ。とにかく、今は帰って休むしかない。吐きそうになりながらも、何とか家まで辿り着いた。
「おかえり、ロージェ」
兄さんは珍しく目を覚ましていた。
「ただいま。身体は大丈夫なの?」
「うん、少し良くなったみたい」
「良かった……」
「ロージェこそ大丈夫だったの? 顔色、悪いよ?」
「久しぶりだったからかな、少し疲れちゃったよ」
「そっか。ゆっくり休んでね」
それだけ話した後、食事も取らずそのままベッドに傾れ込む。

——兄に嘘をついている気分はどうだ?

最悪だよ。放っておいてくれ。

——これからも騙していくのか?

そうするしかないだろう。

——いつか知られることになるぞ

それだけはさせない。

絶え間なく鳴り響いてくる声に律儀に返答している。全く眠る事が出来ない。それでも俺は目を瞑り続けるしかなかった。そして一睡も出来ないまま、夜が明ける。眠たい目を擦りながらも、俺は街に向かう。二度と兄さんをあんな目に遭わせる訳にはいかない。誰かも分からない声に責められ続ける日々を繰り返し、一月ほど時間が経った。

「ロージェくん、ちょっといいかね?」
いつも通り仕事を始めようと準備をしていると、ギルド長が話しかけてきた。折角快く受け入れたのにまだ催促をしてくるんだろうかと身構えた、が。
「フィアラの樹を知っているかね?」
「あぁ、北方の限られた地域にしか生えないという……それが何か?」
「実はだね。その葉の効用が明らかになったと本部から連絡が来たんだが」
「……?」
「君のお兄さんの病気が、治せるかもしれないんだ」

仇敵

 兄さんは幸せになる権利がある。兄さんが元気になれるなら、俺はどれだけ苦しんでも構わない。その一心で、薬草師ギルドの本部へ向かう。北へ続く長い長い道を歩き続け、あたり一面の銀世界なんて目もくれず、ひたすら足を動かし続けてきた。フィアラの葉を手に入れられれば、長年の苦しみから解放してあげられる。もう家で休み続ける生活なんてする必要もない。俺のことをずっと考えて、俺に申し訳ないと思わせることもない。ここが正念場だ。殺すことも死ぬことも出来ない俺の、唯一出来ること。

「君がロージェくんか。よく来たね」
本部のギルド長と顔を合わせる。
「初めまして」
「話は聞いているよ。お兄さんの病気を治したい、と」
「はい、その為にここまで来ました」
「フィアラの葉が人々に齎す効果は大きい。お兄さんだけでなく、きっと多くの人の病が治ることだろう。調合済みの薬を大量に用意したので、是非持ち帰り広めておくれ」
「ありがとうございます」
「さぁ、長旅で疲れたろう。今日はゆっくり休んでいきなさい」
厚意に甘えて、久々にベッドの上で寝る。だが、どんな寝床だろうと頭の中の声が鳴り止むことはない。どこで休んでも疲れは取れない。
まるで寝ている振りをしてるように、ただ横になって目を瞑る。

 少し時間が経った頃、窓際から音が鳴った。風なんかじゃない、明らかに人の気配がする。盗人だろうか。だとしたら捕まえなければならない。下手に騒ぎを起こされて薬を貰うのが遅れてしまうのだけは避けたい。すぐに動かず、侵入者が部屋の中に入ってくるのを待つ。音を殺して窓を開けそっと足を降ろしている様が伝わり、相当な不慣れなのが分かる。そもそもこんな快晴の夜にやってくるのもおかしい。生活に困って盗みを働きにきたのだろうか。だが気配は物品を漁るでもなく、真っ直ぐベッドに近付いてきた。俺が狙いなのか? 確かに恨みを買うようなことは沢山してきたが、その痕跡は必ず残さないように努めてきた筈だ。そう考えている内に気配はベッドの前で立ち止まる。その瞬間咄嗟に飛び上がり、相手に掴み掛かった。
「起きていたのか!」
月明かりに照らされ、相手の姿が浮かび上がる。口元を布で隠しているが、声と身体つきで女だと分かった。手に持った暗器を払い落とし、すぐに拘束する。
「放せ!」
騒ぎを周りに聞かれるのはまずい。こいつの目的が仇討ちだとすれば、俺の過去も周りに知られてしまうかもしれない。とにかく口を塞ぎ、衣服の一部をちぎって女の手足を縛り上げる。
「大人しくしてくれ。別に警備に突き出したりはしない」
相手の興奮が収まるまで待った後、冷静に問いただす。
「まず聞きたい。お前は何者だ。何故俺を狙いにきた」
「……」
「誰かから雇われたのか? それにしては慣れない様子だったが」
「……」
「……まぁ、答えられないだろうな」
暫くの沈黙が続く。どうしたものかと思った矢先、女は口を開いた。
「……ロージェ・サフ。18歳。南方の生まれ。幼い頃に両親を亡くし、弟を養う為に必死で働いていた兄ディンクも病に倒れてしまう。その後、兄を救う為に表向きは調合師として働きつつも、裏では暗殺者として大金を得る生活を4年近く続けいていた。だが、お前のその身勝手な都合で私の兄は殺された」
「なに……?」
「何故全て知られているのか、と思っているんだろう。簡単な話だ。肉親を奪われた者の執念でしかない。どんな手段を使ってでもお前を突き止めて殺してやりたかった」
「おい、何を言っている」
「フィル・ジーン。私の名前だ。お前に殺されたギナ・ジーンの妹だ」
「……!」
相手の正体を理解した瞬間、急激に頭の中に声がした。

——お兄ちゃん、どうして
——なんで居なくなっちゃったの
——お兄ちゃんを奪った奴を殺してやりたい

”兄を失った苦しみ”が絶え間なく響く。たまらずその場に跪き、頭を抱えてしまう。こんなにも、こんなにも辛いのか。俺はなんて事をしてしまったんだ。感情がぐちゃぐちゃになっていく。
「……俺だって、殺されたいよ」
「何を言ってるんだ?」
「俺だって、死んで罪が償えるなら今直ぐにでも死にたいんだ。でも、出来ないんだよ。俺がそれをさせてくれないんだ」
「なんだ、その言い分は。死にたいと思うぐらいなら最初から人殺しなんてしなければ良かったのに、何故お前が被害者ぶっているんだ! とっとと解放しろ! お前を殺してやる!」
当然だ。俺だって同じ目に遭えばそうなるに違いない。けど身体を差し出した所で、兄さんの顔が浮かんで抵抗してしまうだろう。でも彼女の憎悪もひたすら伝わってくる。どうしたらいいんだ。
「頼む、少しだけ待ってくれないか」
「なに?」
「ここで貰った薬を兄さんに飲ませたい。兄さんが自由になれば、もう俺の意味なんてなくなる。だから俺を殺すのはその後にしてほしい」
「そんな言葉に騙されるか!」
「人を殺す程狂った人間の言うことなんて聞きたくないのかもしれない。家族を奪った本人が言うなら尚更だ。だからもし俺が嘘を付いたら兄さんごと殺してくれたって構わない。それぐらい本気なんだ」
「……」
「でも、俺は殺されることも死ぬことも出来ない。だから協力してほしい。これが解決出来れば、お前は仇を取れる」
自分の都合のいいように話を進めてしまっている。身勝手に人を殺した癖に。呪いを罰だと捉えておきながら、結局は死んで楽になろうとしている。本当に、最低だ。
「言っている意味が分からない」
「そうだと思う。でも、本当なんだ。信じてくれ」
床に頭を付け懇願する。情けない。どの口が言っているんだろうかと自分でも思う。
「……なんなんだよ、その殺されることも死ぬことも出来ないっていうのは」
見苦しい様が見てられないのか、フィルは耳を傾けてくれた。
「……信じられなかもしれないが、今から俺の言う事を笑わず聞いてほしい」

意を決して、自分を蝕む呪いについて話した。相手の感情が声になって頭に届くこと、それが自分を苦しめる枷になっていること、死にたくても兄さんの顔が浮かんで死ねないこと。
「……」
フィルは考え込むように黙って聞いていた。誰にも放せないままずっと抱えていた全てを打ち明けていく内に、何故か涙が溢れ出てきてしまった。
「何を泣いてるんだ? 泣いたってお前のやった事が消える訳じゃない。本当に、虫唾が走る」
当たり前だ、俺が彼女の立場でもそう思う。そのぐらい自分勝手な事を言っている自覚はある。
「そんなに誰かを想う気持ちがあるなら、尚更やらなければ良かった。半端に罪悪感を感じる人間がやっていい事な訳がないだろ」
その通りだ。兄さん以外の誰かの感情なんて考えないようにしていたのに。こんな事になるなら良心なんて最初からなければ良かったのに。何も言い返せない。言い返す権利もない。そのまま黙り込んでしまった後、彼女の口が突然開く。
「私はお前を殺さなければならない。だからお前がそう言うなら、一旦飲み込んでやろう。その呪いとやらを解いて、仇を必ずとってやる」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「信じて、くれるのか?」
「勘違いするな。情が湧いた訳じゃない」
「だったらどうして」
「……兄が研究をしてたからだよ」

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