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友達の定義って曖昧だよね

友達の定義ってなんだろうな。

社会人になってしばらく経つが、20歳を越えてから新しい友達が出来たことがない。格段欲しいと思っていないし、中学の同級生6〜7人との繋がりしかない。

そもそも私は数年置きに連絡先をリセットしてしまう。
LINEはもちろんSNSもアカウントを作り替えるし、ひどい時は電話番号ごと変えたりすることもある。
酒が飲めるようになってある程度仲良くなった人も今までいたりするが、連絡先をリセットしたらもうさよならだ。

人間関係を構築して持続するのがだるすぎる。
だから中学の同級生はもう惰性でずっと付き合いがあるし、色々と勝手知ったる仲だったりするのでゆる〜く関係が続いている。

広辞苑無料検索なるデータベースによると、

親しく交わっている人。とも。友人。朋友。元来複数にいうが、現在は一人の場合にも用いる。仁賢紀「―有りて其の意を悟らずして」。「遊び―」

広辞苑(第六版)無料検索

とのこと。

まぁ、そうでしょうね。

親しく交わっている人、いねぇなぁ。
友達が多い人ってすごいな。
私はどうしても性格上、過度に気を遣いすぎて社会的MPを消費するし、人の顔色をすぐ窺ってしまう。何かしらの誘いも断れないし、無理して付き合ったりする事が多いので疲れてしまうのだ。

たまに「俺とお前の仲だろ」とかいうこちらがどう思っているかも聞いてもないのに勝手に距離感を測って一方的にコミュニケーションをしたがる奴がいるが、あんなん友達でもなんでもねぇだろ。精神的な距離感なんてどうあっても測れる訳がないし、無意識に擦り合わせていってなんとなく「仲」というものが互いの認識として現れていくと思うので、基本人を避ける傾向がある私は尚更そういう押し付けがましい人は苦手だ。

そう考えると仮に「誰とでも友達になれる」と自称している人がいたとして、相手が自分の事をどう思っているのか考えた事はあるのだろうか。
そして相手から「友達とは思っていなかった」と告げられたらどう思うのか。純粋に気になるな。

しかし上述した広辞苑の引用から考えると、主な定義として「親しく交わっている人」としか記述されていないので、結局本人がそう思うのであればそうなのであろう。

相手がどう思っていようが
「あいつは俺が友達と思っているから友達だ」
それで良いのかもしれない。


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