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歴史コラム

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歴史に関する考え、史実に対する見解など
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#歴史

教科書的な時代区分「明治・大正・昭和」時代と分けるのは正しいのか

歴史の教科書には必ず年表というものがあり、それぞれの時代ごとに名称が当てはめられている。…

当たり前じゃなかった「倒幕」【幕末史】

19世紀の後半、日本は長く続いた封建体制を一新し、近代的な政治制度を整えた国家に生まれ変わ…

大東亜戦争劈頭に活躍した情報戦士③F機関と谷豊

大東亜戦争の口火を切った真珠湾作戦とマレー作戦。 両作戦の成功の背景には、情報将校たちの…

大東亜戦争劈頭に活躍した情報戦士②国武輝人

大東亜戦争の口火を切った真珠湾作戦とマレー作戦。 両作戦の成功の背景には、情報将校たちの…

大東亜戦争劈頭に活躍した情報戦士①吉川猛夫

大東亜戦争の口火を切った真珠湾作戦とマレー作戦。 両作戦の成功の背景には、情報将校たちの…

もう一つの真珠湾攻撃|特殊潜航艇による特別攻撃

昭和16年12月8日(ハワイ時間は12月7日)に断行された真珠湾攻撃(ハワイ作戦)は、空母から発…

新聞は大東亜戦争開戦をどう伝えたか

昭和16年12月9日の朝日新聞夕刊は、前日に西太平洋、グアム、フィリピン、マレー半島で戦端が開かれた大東亜戦争の特報記事で埋め尽くさた。 12月8未明にはじまった大東亜戦争の、開戦劈頭の戦況を伝えるニュース。それらとともに、『宣戦の大詔渙発さる』との大見出しで、昭和天皇の詔書(米英に対する宣戦布告の詔勅)が全文、掲載された。 「朕ここに米国および英国に対し、宣戦布告す」からはじまり、日本が開戦に踏み切った理由、大日本帝国の戦いを妨害してきた米英勢力の理不尽に対する義憤の念

【大東亜戦争開戦前夜】日米交渉4|運命のハルノート

日米が互いに目指してきた平和への道は、ついに晴れずして暗雲のまま閉ざされることに。11月26…

【大東亜戦争開戦前夜】日米交渉3|幻に終わった近衛-ルーズベルト会談

日本軍の南部仏印進駐をきっかけに、米側の態度は極度に悪化し、日米交渉はほぼ打ち切り状態と…

【大東亜戦争開戦前夜】日米交渉2|交渉か戦争か、討ち死にか衰弱死か

交渉継続か、戦争決意か。ソ連排撃か、仏印進駐か――。 野村とハルがワシントンで運命の交渉…

【大東亜戦争開戦前夜】日米交渉1|日米諒解案から南部仏印進駐まで

満州事変、日中戦争、三国同盟。国益を掛けた日本の行動はことごとく米国の虎の尾を踏み、日米…

太平洋戦争(大東亜戦争)に至る経緯【日清・日露戦争~日米交渉前まで】

※ロシア・ウクライナ戦争はこれっぽっちも関係ありません 太平洋戦争(大東亜戦争)は多くの…

二・二六事件を考える②乱を起こした青年将校はどのような人たちだったか

昭和11年(1936年)2月26日未明、歩兵数個連隊を率いて首相官邸や陸相官邸、警視庁を占拠し、…

日本の戦争は“十五年戦争”?終戦までの15年間で起きたことをまとめてみる

昭和の日本の対外戦争、「満州事変」「日中戦争」「太平洋戦争」を切り離せない一連の戦争とみなし、「十五年戦争」と呼ぶ歴史の見方があります。 十五年戦争(じゅうごねんせんそう)とは、1931年9月18日の柳条湖事件勃発から1945年のポツダム宣言受諾(日本の降伏)までの足掛け15年 (実質13年11カ月)にわたる日本の対外戦争、満洲事変、日中戦争、太平洋戦争の全期間を一括する呼称のこと。中国では「十四年抗戦」の呼称が使われる。 「十五年戦争」の呼称は、鶴見俊輔が1956年に「