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歴史コラム

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歴史に関する考え、史実に対する見解など
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#太平洋戦争

【太平洋戦争の発火点】アメリカと「排日移民法」「オレンジ計画」/現代政治もちょこ…

「太平洋戦争は、真珠湾攻撃を仕掛けた日本軍の奇襲攻撃からはじまった」 これが、現代の私た…

大東亜戦争劈頭に活躍した情報戦士③F機関と谷豊

大東亜戦争の口火を切った真珠湾作戦とマレー作戦。 両作戦の成功の背景には、情報将校たちの…

大東亜戦争劈頭に活躍した情報戦士②国武輝人

大東亜戦争の口火を切った真珠湾作戦とマレー作戦。 両作戦の成功の背景には、情報将校たちの…

大東亜戦争劈頭に活躍した情報戦士①吉川猛夫

大東亜戦争の口火を切った真珠湾作戦とマレー作戦。 両作戦の成功の背景には、情報将校たちの…

もう一つの真珠湾攻撃|特殊潜航艇による特別攻撃

昭和16年12月8日(ハワイ時間は12月7日)に断行された真珠湾攻撃(ハワイ作戦)は、空母から発…

新聞は大東亜戦争開戦をどう伝えたか

昭和16年12月9日の朝日新聞夕刊は、前日に西太平洋、グアム、フィリピン、マレー半島で戦端が…

【大東亜戦争開戦前夜】日米交渉4|運命のハルノート

日米が互いに目指してきた平和への道は、ついに晴れずして暗雲のまま閉ざされることに。11月26日に米国務長官コーデル・ハルが手渡した対日提案「ハルノート」は、独立国家としての日本の未来を打ち砕くものであり、近代国家としての歩みを全否定する絶望のしるしであった。 ハルノートの内容太平洋秩序の安定化を目指して開始された日米交渉は、約8カ月続けられた。 政府要人や公人、私人問わず、さまざまな人物がこの重要課題に取り組み、双方の思惑と狙いが絡み合う中で交渉は積み重ねられてきた。しか

【大東亜戦争開戦前夜】日米交渉3|幻に終わった近衛-ルーズベルト会談

日本軍の南部仏印進駐をきっかけに、米側の態度は極度に悪化し、日米交渉はほぼ打ち切り状態と…

【大東亜戦争開戦前夜】日米交渉2|交渉か戦争か、討ち死にか衰弱死か

交渉継続か、戦争決意か。ソ連排撃か、仏印進駐か――。 野村とハルがワシントンで運命の交渉…

【大東亜戦争開戦前夜】日米交渉1|日米諒解案から南部仏印進駐まで

満州事変、日中戦争、三国同盟。国益を掛けた日本の行動はことごとく米国の虎の尾を踏み、日米…

太平洋戦争(大東亜戦争)に至る経緯【日清・日露戦争~日米交渉前まで】

※ロシア・ウクライナ戦争はこれっぽっちも関係ありません 太平洋戦争(大東亜戦争)は多くの…

真珠湾攻撃の前にアメリカの宣戦布告があった問題

アメリカ人はハルノートの存在を知らなかった。知らなかったというより知らされていなかった。…

日本との戦争を望んだのはアメリカではなくルーズベルトだった

アメリカはなぜあれほどまで中国に甘かったのだろうか。 一方で、なぜあれほどまでに日本を嫌…

【戦争と日本人】道義的な反省と科学的な反省

日本人が昭和の戦争を公の場で語るとき、反省とセットでなければならない。反省なき戦争の語りや描写は、醜く不道徳な姿に映りかねないどころか、戦争賛美にとらわれる危険性すらあるからだ。 そんな意図は微塵もないと言い訳する無自覚さもまた、戦後の平和教育を信奉する者からすれば軽薄であり、どこか危なっかしく見える。反省を内包させてこそ戦争語りが許されるとする空気は、長い年月をかけて醸成され、戦後76年経った今も根強いものがある。 反省はもちろん必要だ。負け戦となった日本の戦争に反省が