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歴史を疑え!(2)

日本を含む多くの国の学校で教えられ、正しい事実だと受け入れている公式の歴史では、18世紀になるまで、この地球上の国々には機械文明はなかったとされています。

電気やモーター駆動の機械がないので、重い物を運ぶ時には自ら台車を引いたり、牛や馬に引かせる。
移動する時は自分の足で歩く、または身分が高い人なら牛車や馬車に乗ったり、馬に乗ったりしていた。
料理をしたりお風呂を沸かしたりする際には薪に火をつけて火をおこす。
水は井戸から汲んでくる。
陽が落ちて暗くなったらランプに火を灯す。
人々はそんな生活をしていた。

私は1970年代前半の生まれ、両親は1940年代初め生まれ、祖父母は明治の終わり〜大正の初め(1912年前後)の生まれです。
それゆえ自分が生まれる前、日本の社会がどのような様子であったのかについては、祖父母から聞いて20世紀初頭まで、およそ100年くらいは遡ることはできます。

父方の祖父母は四国の田舎で生まれ育ちました。
祖父母が子ども時代の四国の農村の生活はこのようなものだったそうです。
⚫︎水は井戸から。台所は土間。ガスや電気はなく薪で火をおこしていた。
⚫︎農耕に使用するため、牛や馬を飼っていた。
⚫︎卵採取のために鶏も飼っていた。
⚫︎祖母の女学校では、生徒の半分くらいは和服、半分くらいは洋装(セーラー服)を着用。(卒業アルバムを見ると確かにそうだった)
⚫︎農家なので日常の生活で食べる物には困らなかったが、お金を出して買わねばならない砂糖を使った上等なお菓子は滅多に口にできず、主なおやつは庭や山に生えている果物を食べたり海に行って岩牡蠣を取って食べていた。
⚫︎トイレは母屋から離れた外に設置。水洗ではなく汲み取り式。

なかなか原始的です。電気もガスもありません。
調べると、一般家庭にも電気の灯りが行き渡ったのは1960年代以降ということです。(ご参考
明治〜昭和初期を舞台にしたドラマや映画の演出は、どうやら当時の実状を本当に反映していると考えて良さそうです。

ところで、この写真はどこの国の風景だと思いますか?

Facebook投稿より
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このヨーロッパの街としか思えない街並みは全て、明治〜大正期の日本です。
驚きではないですか?

公式の歴史をたどりますと、1853年に黒船が来航。
それ以降は、毎年のように地震は起きるわ火災は起きるわ、コレラ流行するわ麻疹は流行するわ、西洋人どもが病原菌や厄災を持ち込んだんじゃないかというくらいの災害が続く中、国内では内戦が続き、ついに1867年の大政奉還で明治維新は一応決着。
学校ではそのように習いました。
明治元年は1868年、大正元年は1912年です。

こちらの三井住友トラスト不動産のサイトによると、1869年当時の銀座はこんな感じだったそうです。

東京尾張町之図

しかしその後、銀座一帯は「銀座大火」で焼失。これを機に明治新政府は銀座の都市改造に着手したのだそうです。で、1873年の銀座通りはこれだそうです。

1873(明治6)年の銀座通り

これ以前、つまり18世紀以前というと、日本では所謂「江戸時代」ですよね?
公式の歴史が正しければ、「時代劇」や「大河ドラマ」よろしく御侍さんがちょんまげ結って、着物を着て帯刀しており、士農工商で身分が分けられていた、徳川幕府による治世の筈です。
家屋や建物は全て木造で、大工さんの建設技術は木造建築物の筈です。

いくら西洋人の建築家が設計を担ったとしても、現場で建設に携わる人材を集め、一から建設の技術を教えて、僅か3~4年でこんなの完成しますかね?
最初にずらりと紹介した写真のうち、5番目のすこし赤みのある写真は、大正初期の銀座だそうで、明治の初めから僅か45年間で、あのように立派な煉瓦や大理石造りの西洋建築物ばかりが並ぶ街並みとなったということになります。
当時の機械文明の技術レベルで、そこまでできるものでしょうか。

欧州も同様です。あんな立派な煉瓦造りや大理石造りの建物が同時の技術レベルであれほど大量に建築できるものなのか。

1815年ナポレオン戦争が終結して、その後ヨーロッパ諸国ではウィーン体制と呼ばれるフランス革命以前の絶対王政の時代に戻るが、その王政復古の体制もやがては市民の反発により、1848年のパリの二月革命、ベルリンとウィーンの三月革命が起こり、終焉を迎えることになります。
米国では1860年代に南北戦争が終わり、その後アメリカの産業革命が進展していくようです。
英国は19世紀の殆どはヴィクトリア女王の治世です。シャーロック・ホームズの時代ですね。
英国ではロンドンに地下鉄が開業したものの、19世紀はまだ蒸気機関車であり、主な交通手段は馬車でした。これは他の欧州各国や北米でも同様だった筈です。

19世紀のロンドンの町の風景

どこを見ても、19世紀はまだまだ原始的で本格的な近代化は20世紀に入ってから、という印象です。

改めて考えてみてください。
中世に造られたという見事な巨大な建築物。
フィレンツェのドゥオモ、トルコのブルーモスク等。

19世紀後半〜20世紀初めにあれだけ原始的な生活を送っていた私たちの祖父母よりも、更に近代的な技術を持たなかった筈の人々は、こんな完璧な幾何学模様を正確無比にデザインした大きな建物をどうやって設計し、機械なしで人間の手だけで加工し、建設作業を行ったというのでしょうか。

それについての具体的な記録はあるのでしょうか。
そもそも建物の年代や、地層からの年代特定、その方法論だって本当に正しいのでしょうか。

私は個人的には、YouTuberのエンドゥ氏やその他の方が唱えている「マッドフラッド説」や「タルタリア帝国説」を全面的に信じている訳ではありません。
そもそも、いずれにしても大昔のことなど証明のしようもない訳ですから、「信じる」というのはおかしい話です。
でも確かに私たちが正しいものだと教えられてきた歴史の物語には、どこか説明に無理のあるところがあちこちに見つけられます。

たとえば卑弥呼なんて本当にいたのか?
公式の歴史ですら、あれは中国の過去の書物にそのような記述がちらりとあるだけです。いたとしても、本当に巫女だったのか?
中国なんて、支配者が変わるたびに過去の遺物は叩き壊して刷新してきたと言われているのに、そんな国の歴史資料って信用できるのでしょうか。しかもそれが何百年、何千年も前のことです。

それゆえ、一度こういう根本的なところから、疑って掛かっても良いのではないでしょうか。
これって意外と面白くないですか?

私たちは本当に巨大な詐欺に騙されているのかもしれませんよ。

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