横浜に劇団ねこのバロンの舞台を観てきた

ここ最近は映画に行ったり、ライブに行ったり、オーケストラを聴きに行ったり、ジャズのセッションを聴きに行ったり…

文化にまつわるあれこれをしているうちに「他にもなんか文化を感じられるものないのかな?」と考えるようになった。

そこで思い出したことがある。
あれは確か20年前。
俳優を目指していた20歳そこそこの友人が演劇の舞台をやると聞いたので応援がてら何度か彼の舞台を観に行ったんだった。
客席は50席くらいの小さな劇場だったと思う。

話の筋は忘れてしまったが舞台を観たあとに“あぁいいもん観たわぁ”と凄く心があったまった記憶が残っている。
友人はもちろん、キャスト全員がキラキラと輝いていて“やりたいことがある人は羨ましいなぁ”と思ったものだ。

よし!舞台を観に行こう!

その記憶を思い出してからというもの無性に舞台が観たくなっている自分がいた。

歳を取ると生きる為の情熱みたいなものが薄れてきてしまい惰性で生きる日々も増えてくる。
そんな自分に喝を入れる為にもキラキラ生きているであろう人たちの熱を直に感じて元気をもらいたいと思ったのだ。

ただ僕のような一般人にとって舞台というものは非日常の遠い世界。ライブや映画は行くけど舞台は観たことないって人とっても多いんじゃないかな?
それくらいハードルが高い。
ましてや小さな劇場なんて…。

小さな舞台や小さなライブとかって出演者の彼氏や彼女、友人、役者仲間とかが観に行くものってイメージなので全くの部外者である自分が突然行っても浮くだろうなぁ〜と思ったが僕はそういった“知人が多く来ているようなみんなで支えている手作り感のある小さな舞台”が観たいのだ。

と言うことで何の知識もないけれど横浜に小劇場がないか検索をかける。
するとSTスポットなる小さな劇場がある事を初めて知る。

当ても何もないのでとりあえず自分の休みの日に観れる舞台はないかな?と探していたところ 『劇団ねこのバロン』という劇団が『大人の友情実験室』なる舞台をやる事を知る。
と言う事で即メールでチケットの確保。

そして当日。
20年ぶりに舞台を観るし、劇団については何も知らないし、上映内容もよくわからない丸腰状態で劇場へ。

入場して驚いた。
40席くらいあるのかな?
会場はまさかの満席状態。
まじか。
なんとか座席を確保して開演を待つ。

数分後、場内が真っ暗になり舞台はスタート。
若い女性の役者さんの独り言から舞台は始まる。

そうそう!
こういの、こういうの!

冷静に考えたら現実では何か作業する時にこれから起きる事の独り言なんて言わないから不自然極まりないんだけど僕はそう言う“舞台を観にきた感のある演技”が観たかった。

その後役者さんたちが次々に出てくるんだけど、まず思ったのは みんな演技が上手い! って事。
出てる人全員が一定のレベル以上で演技力に関してはなんの違和感もなく受け入れることができた。

正直心のどこかで疑っていたんですよ。
小さな舞台って事は学芸会の最上位互換みたいな感じでしょって。
ほんと申し訳ないけど。
何の知識も文化的素養もないから仕方ないって事で許して下さい。

それがね、観たらちゃんと舞台だったんですよ。
あれめちゃくちゃ練習してると思う。
しかもその“めちゃくちゃ練習してます感”みたいのが一切感じられない。
自然なのよ。
その自然な感じが観る側を舞台の世界観に引き込んでいくんだと思う。

ただ出てくる人出てくる人全員が様子のおかしい人ばかりでちょっと不安に。
みんな風貌や言動の癖が強くキャラ立ちしてるからちょっと疲れちゃいました。
しばらくしてからサラリーマン役の普通の風貌の人が出てきた時にかなり安心してしまいました。

舞台を見慣れてない僕からするとキャラが渋滞していた気がして「これ、最後まで観れるかな?」と一瞬思いました。
人間って普段見慣れてない、身近にいないアクの強いキャラクターを一度に沢山観ると疲れちゃうものなんですね。

みなさん演技が上手いのでなんとか気持ちを切らさずに観ることが出来ましたが前半のそれぞれの自己紹介の場面あたりまでは、もう少し短く出来なかったのかな?と思いました。ここが後半への振りになってるのは理解出来るのですが…。

場面が変わり、みんなで実験を開始するあたりからかな、本格的に芝居の世界に入り込めたのは。
そこからはあっという間に時間が過ぎていきました。

ただその他にも計画的犯行とは言えやや唐突な“なごり雪”、仲良くなった後なぜか女子会と言う名目で男性だけ除け者にされる不自然な設定、そもそも友情を育めるのは人間だけでは無い問題など、そのあたりはもう少しスマートな脚本やふわっとしていない設定に出来なかったのかな?と思いました。

みんなで合唱するシーンとかは最高でしたね。
中島みゆきが名曲withで書いているように“ひとりきり泣けても ひとりきり笑うことはできない”

全員が笑顔になってく様にホッと一安心。
みんなで一緒に何かを作る作業って本当に素晴らしいからね。
そういえばこの演劇ってもの自体がそういうものだ。
そら演者を惹きつけて止まないわけだ。

今回学んだ事は、他者とのコミュニケーションの基本はお互いの自己主張ではなく、その人との共通点探しなのかもなと言うことです。

普段読書を通して何となく理解できた気でいた事を視覚的に見たことによって自分の中で更に腑に落ちた感じ。理論に体温が生まれた感じ。

世界には色々な価値観の人がいてそれぞれが自分の価値観に従い正義を掲げてる。
たぶんそれぞれがみんな正しいんだと思います。

しかし人は違う種族の人との対話の際に、その正しい正義感を掲げて対話してしまいがち。
そりゃ決裂するに決まってる。
お互い正しいんだから。

そんなものの延長に平和なんてあるんですかね。
僕はないと思う。

それだったら飲み会でくだらない話をしてみたり、それこそ舞台にあったようにみんなでゲームをしてみたり、合唱してみたり…
無駄な事をしてみてお互いがまずは許容できるような妥協点を探す作業を時間をかけて試みた方がよっぽど良い。

お互いの価値観の妥協点を探すうちに時間が経過して自然と信頼関係が生まれていく。そうすればその先には自分が本来主張したい内容についても相手に話せるかもしれない。

ただ今のSNSや動画サイトに侵された社会の傾向として無駄を嫌う、非合理を許さない、短期的メリットのない事に興味を示さないなどの傾向が見られるので今後世界はより対話する能力を失っていくだろうなぁと思う。
みんなねこのバロンの舞台観たらいいのにw

僕は今回彼らの舞台を観て主にはこんな感じの学びを得ました。
誰かとわかり合いたいのなら、正しさの前に信頼関係!

それとそれと。
今回初めて分かったのは役者って本当に人によって違うんだなと言う点。
そこには何が作用してるのか素人の僕にはわかりませんが。

特にサラリーマン役の男性の方とお着物を着た小説家役の女性の方の演技は特に秀でていたと思いました。
もうあれ以上の演技力なんて世の中に必要なくね?って思わせるレベルで上手かったです。

役者ご本人の元々の性格と演じるキャラクターに乖離が少なく自然体でいられるからなのか、キャラの癖が強過ぎないからなのか、声質なのか、衣装なのか、何が作用してるのかは全くわからないけど明らかに違ったんですよ。
お互い自分の言葉になってるというか自然過ぎて驚きました。

ただ他の3種類の役柄よりは圧倒的に大人しめのキャラだった気がするのでキャラ自体に無理がなかったのが良かったからなのかな?と思いました。

逆に言えば他の実験参加者のキャラは明らかに演じるハードルが高かった思う。
だってキ◯ガイなんだもんw
それでもみなさん演じ切っていてやっぱり俳優さんって凄いんだなぁと思いました。

余談ですが 女性小説家の方の話す丁寧な物言いとか雰囲気は2003年に放送していた木皿泉脚本のドラマ「すいか」に出てくる浅丘ルリ子っぽい感じを受けました。たしか浅丘ルリ子の役柄も教授だった気がするのでインテーリージェーンスッある人はみんなあぁなるのかしらw
とにかく素晴らしかった。

自分は保守的な人間なので既視感のある役柄や既視感のある演技力に、よりシンパシーを感じやすいみたいです。一方で奇抜なキャラには身構えてしまう自分がいて、その辺は舞台を観た経験が無いからなんたろなーと思いました。
観る上手にならないといけませんね。

舞台を観終えたあとにはやっぱり心にあったかい気持ちが湧いていました。
良いもんみたわーって。
カーテンコールの際の役者さんたちの目の輝きを見たら自分もまた頑張ろう!って思えました。
実生活であんなにやりたいことを一生懸命やってる人に出会う事がないのである種のパワースポットですよ、演劇鑑賞は。

と言うことで久々の演劇鑑賞について書いてみました。
今回の公演は第3回目らしくまだまだ新しい劇団のようです。

役者さんがみなさん素晴らしいので別の話もぜひみてみたいと思いました。
次回の公演も必ず足を運びます。

『劇団ねこのバロン』の方々素敵な時間をありがとうございました!

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