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スヴェート



「(1分)27秒315」



"もう少し削れるとは思うけど、ちょっとアンダー気味かなー"

"あと、トラクションが思ったよりかからない"



「了解。2周後にピットインね」



2周後、ピットに白色のポルシェが帰ってきた。

サイドには、<99>のゼッケンナンバーとアニメのキャラクターが描かれている。



俺の好きな、というか

正確に言うと、俺の好きな声優さんが

生徒役の1人を務めているアニメだから、


コラボの話を会議で聞いた時は、

机の下で、こっそりガッツポーズしたのを覚えている。




エアジャッキを上げ、スタッフ達が車体の下に滑り込む。



俺は各周回毎のタイムと車両変化のデータを見ながら

あれこれと考えを巡らせる。



"どう?"


さっきまで走っていた、エースドライバーが

俺に声をかけてきた。


他のチームから譲ってもらった、ポルシェと一緒にこのチームにやってきた。

いわば、このポルシェは勝手知ったる存在。



「うーん。さっきアンダー、って言ってたけど、

データを見る限り、そうでもなさそうなんだよね…」



まぁ、元々がピーキーで

速くなるポイントが狭いからこそ、

セッティングの僅かな変化が

結構タイムに影響を及ぼすマシン特性だから、

変動要素は多い。


ましてや、このレースは二人一組で走る。

1人の意見だけでおいそれと変えられない。



次のセッションは、もう1人の若手ドライバーが走る。



俺は、若手ドライバーの感触を聞いてみることにした。





「(1分)26秒665」


今日のテスト中では最速タイムだ。

とは言っても、25台中15番手だから

安堵は出来ない。


「どう?」



"いい感じですよ"

"まだまだ削れますね"


"しっかりトラクションもかかってるし"

"低速コーナーじゃ、オーバーなぐらいです"



困った。

車が曲がらないアンダーと曲がり過ぎるオーバー。

気温と路面の温度・状態が違うとはいえ、

同じセッティングで真逆の感想が出るとは。



"どうですか?チーフは"


「うーん。ここまでフィーリングが違うのか…」

「タイヤか…?」



2つに分かれた真逆のフィーリングは、

エンジニアを含めたスタッフ間での

その後の方針も分断する。




テスト終わりの片付けの後、

遅めの昼食、というか夕食を食べながら

スマホをいじっていると



'お、また推しのこと逐一チェックしてんのか??'


「いや、言い方」


笑いながらイジってきたのは、

分析を専門とするデータエンジニア。


今は立場こそ違えど、

同じ自動車大学校出身の同級生。



良くも悪くも、俺の全てを知っている。




'でも、こんな偶然もよくあったもんだよなぁ…'

'まさか、お前の推しの琴子ちゃんが、声優を務めるアニメとコラボするなんて'



「まぁ、確かにそうだよなぁ…」




初めて見た、乃木坂46のアンダーライブ。

その中で、ふと、彼女の姿が目に留まった。


スポットライトを浴びて、とびきり輝く笑顔。

そして何より、目を引くその美しさ。



俺は、佐々木琴子という存在に、心を奪われた。



それから俺は、握手会やライブに何度も通った。


ライブに行けば、自分のありったけを出して、

握手会では、彼女に少しでも喜んでもらいたかったから、色んな工夫をした。


でも、事実として、

彼女が乃木坂46の表舞台に立つことは

決して多くはなかったけど


だからこそ、彼女を応援したいという気持ちは

日を増す毎に強くなっていって、

どんどん好きも更新されていった。



そして、彼女がアイドルを卒業して夢を叶えた時、

自分のことのように嬉しかったのを覚えている。



だからこそ、ここ最近の流れには

ある種、運命めいたものを感じていたの事実。



'尚更頑張らなきゃな、俺達'



「ああ。」



'あ、監督がミーティングやりたい、だってさ'



「わかった」



今日のテスト結果を受けて、

監督を筆頭としたスタッフ一同が集結して、

今後の戦略を立てる。



だが、中々結論が出ない。




結局、開幕戦の直前まで、

限られた機会の中で方向性を見極めることになった。





ーーーーーーーーーーーーーーーーー




長期間に渡る話し合いとシミュレーションの末、

俺らのチームが出した結論。

それは、「攻め」の戦略に出ることだった。



まず、予選は少しでも前に出るために

タイヤの摩耗よりも速さを優先する。


そして決勝では、ルールで決められた

最低周回数のギリギリでピットに入り、

残りはひたすら耐えて逃げ切る、というもの。



予選でちょっとでも前のポジションを取る、

ピット作業をミスしない、

長い距離をタイヤを労りながら耐える。


いくつもの壁を乗り越えないと

勝てない前提の作戦だったが、

他のチームと比べて、新しくないマシンだからこそ

作戦という「頭で勝ちに行く」ことが

今のベストだった。





開幕戦の舞台は、岡山。

一周の全長は約3.7km。


速度の低いコーナーが連続する、テクニカルなサーキット。

決して一筋縄ではいかない場所だ。



金曜日に搬入作業を終えて、

迎えた土曜日。



朝からの練習走行に備え、

今日のことについて、

ドライバーとピットで話し合いをしていると、



何だか奥の方が騒がしい。



ふと、視線を遠くに見やると

そこには






ずっと、ステージの上にいたはずの彼女が、

目の前にいた。





'皆さーん!何と、今回コラボしたアニメで生徒役を務めていらっしゃる、

声優の佐々木琴子さんがサプライズで応援に駆けつけて下さいました!'



監督がそうは言ったけど、

俺の頭の中は、一瞬で真っ白になった。


握手会とかで何度も会っているはずなのに、

いざ、目の前にすると何も言葉が出てこない。




琴子は横のマネージャーに情報を伝えられながら

監督や社長と話をしている。





琴子がふと、こちらを向いた気がした。


きっと、ドライバーを紹介しているのだろう。

エンジニアの俺など、目もくれないはずだ。




相変わらず頭は真っ白で、何も考えられないのに

こういう状況把握だけが、やけに冷静なのが不思議だ。




監督たちと一通り話し終えたのか、

琴子とマネージャー、それに監督が

こちらにやってくる。



'こちらのお二人が、ドライバーの佐藤選手と、藤原選手です'


監督が紹介する。



'そして、こちらがチーフエンジニアの'



俺の名前を呼ぶ声がした。






その声の主は、琴子だった。





'あ、お知り合いでしたか?'



『あ、あの…』



「ずっとファンだったんです」



'あー、そういうこと'



『ずっと、応援してくださってましたよね?』

『嬉しかったです』



「お、覚えてくれてたんですか?!」


『もちろん、ずっと応援してくださってた大切な方ですから。』



驚きと感動と喜びで、

俺の中の感情がぐちゃぐちゃになる。




『さっき、監督さんから、大変なお仕事だって聞きました。』






『今日のレース、頑張ってください』


『応援してます』



それは間違いなく、チーム全員に向けて

かけられた言葉だということはわかってる。



でも、明らかに自分に向けられているような気がして、



『お邪魔しましたー』



琴子が去っていった後も、

心臓はずっと、高い拍動を刻んていた。





"大丈夫ですか?顔真っ赤ですよ"


若手のドライバーが心配そうに声を掛けてくれる。



「大丈夫大丈夫。気合い入っただけだから。」




俺の心は、メラメラと、燃え上がっていた。






予選は、気温と路面温度の読みが的中し、

ほぼ戦略通りの6番手。




後は決勝。

77周、約300kmの戦いが始まる。



スタート直前、1番手の若手ドライバーに

直前で思いついた<プランC>を伝える。


'え、マジですか?!'


「前に出ながらコレをやるのは、キツイっていうのはわかってる」


「でも、今の俺等が表彰台に食い込むには、これぐらいのことをやるべきだと思う」



'いや、わかりますけど…'



'監督たちには話してあるんですか?'



「いや、これから」


'えぇ…'



「大丈夫大丈夫。きっと監督も俺と同じ考えだから。」


「さ、行って来い!」


背中をポン、と押して乗り込ませた。




決勝レースのスタート。


1週目、立ち上がりの第1コーナー、

コース中盤のヘアピンで2台を抜き、4番手。



序盤は順調。



後は、ピットインのタイミング。



すると、ピットイン予定の直前で、


「あ」



他の車同士が接触したのか、コース脇に止まっている。


もし、セーフティーカーが入れば、

前後の距離が全てリセットになる。


失敗して後ろに下がるリスクも大きいが、

成功して前に出られる可能性も大きい。



「この周入って!ピットイン!」



慌てて無線をドライバーに飛ばす。


おそらく、他の車も同じ考えだろう。

同じ戦略では絶対に勝てない。




俺は、監督から許可を得た<アレ>をメカニックに伝えた。



「プランCでいくよ!!」



前輪のタイヤをメカニックがピット内へしまう。


そう、俺が考えたのは

「後ろ2輪だけをタイヤ交換する」

という作戦。



後ろのタイヤだけ極端に消耗しやすい

ポルシェという車の特性を逆手に取って

削れるタイヤだけを交換して

ピットでの時間を少しでも削るというもの。


しかし、ミスすれば全てが無駄になる。

リスクの高い作戦だ。



ポルシェが飛び込んでくる。

ドライバー交代とタイヤ交換は順調に済んだ。

後は給油だけ。

燃費が悪いので、給油量は慎重に。



計算通りのタイムで飛び出す。


混乱するピットの中で、

いち早く出ることが出来たお陰で

順位を1つ上げることに成功した。



後は、このまま耐えてくれることを祈るのみ。





結果は、見事3番手。

表彰台に食い込むことが出来た。






初めての祝勝会。


とは言っても、車持ちばっかなので

アルコールは無しだが。



'かんぱーい!!'


監督の一声で始まる。




その中には、琴子の姿もあった。


'なぁ、話しかけてみろよぉ'


同期のデータエンジニアが、ふざけて言う。


「いや、流石に無理だろ…」



'お前のこと知ってたんだろ、イケるって!'


「いや、だからって…」



琴子がチラっと、こっちを見た気がした。




でも琴子とはそれだけで、

祝勝会はお開きになった。



駐車場の中の月明かりに照らされた

ダークブルーのFL型シビック Type-R。



車に向かおうとすると

俺を呼ぶ声がした。



『あの、』


『おめでとうございます』



「ありがとうございます」


「だけど、それは俺に言う言葉じゃないですよ」



「みんなで掴んだ、表彰台ですから」



『素敵です。そういうところ。』




『あの』



「はい」




『お友達になってもらえませんか?』



「え?」




『ファンになったんです。あなたの』



『今日、監督さん含め、色んな方からお話を聞きました。』


『みんな、あなたの決断が全てだったと言ってました。』


『だから、いざという時に決断できる、あなたが好きになりました。』



『そして、私がまだアイドルだった時から、ずっと応援してくれていたこと。』



『それが何よりのきっかけでした。』




『だから、まずは、お友達から。』


『お願いします。』



「こちらこそ、私で良ければ。」



『じゃあ、これを』




琴子は、LINEのQRコードを見せてきた。





俺は、スマホのカメラでスキャンすると

シビックの扉を開けた。

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