忘れない、ということ
「やっほー」
「どう?そっちは?」
『相変わらず寒い。しかも昨日は雪もちらついたし』
「えー、そう言われると、帰るのおっくうになっちゃうなぁー」
『そんなこと言うなよ。俺達、何ヶ月会ってないよ』
『璃果が突然東京へ出向、ってなってから。』
「そうだけどさー」
『で、帰れるのはいつ頃?』
「んー、4月入ってからかなぁー」
『やっぱそっか。年度末だし流石に厳しいか…』
「うん…」
何とも言えない沈黙が流れる。
『まぁ、なるべく早く帰ってきな。』
「うん、わかった」
『おやすみ』
「おやすみー」
お気に入りのサングリアをボトルから出して、一口飲む。
眠りにつくための、私なりのルーティン。
何もない、平和な一日。
遠く離れていても、繋がっているはずの心。
それが一変するなんて。
私たちは、知る由もなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その日、私は普段通り、仕事をしていた。
翌週の最初にある月例会議に向け、資料作りをしていた。
そろそろ、おやつでも食べようかと用意をしていた時、
それは、なんの前触れもなく、襲ってきた。]
ゆったりとした横揺れの後に、
カタカタと机の上の物が揺れだす。
しばらくして、
グラン、という衝撃と共に
強い横揺れが襲ってきた。
私は反射的に、机の下に隠れた。
どれだけの時間が経っただろう。
横にいる同僚や先輩たちと顔を見合わせて、
とりあえずの無事を確認する。
その時は、まだ知らなかった。
揺れの中心が、東京から遠く離れた
私の地元だったなんて。
主要な交通機関は止まってしまっているので、
今日はとりあえず会社に泊まることは決まったけど、
とにかく、情報がない。
スマホを見ても、真偽不明の情報が飛び交うだけ。
担当役員が自分の部屋にあるテレビを
元の位置に直して、電源を入れる。
役員が自分の部屋に招き入れると
夜光虫のように、人が情報を求めて群がる。
そんなテレビが映したのは、
どす黒い大きな何かが、
田んぼや畑、人家を容赦なく飲み込んでいく
景色だった。
周りの人も、私も、
これは夢なんじゃないかと、
今まで見たことのない現実に
それを受け止めることが出来なかった。
その瞬間、浮かび上がってきたのは、
彼の住む町だった。
まさか。
テレビは相変わらず、絶望的な風景を
ヘリコプターから中継している。
どうか、彼の町だけは無事でありますように。
その願いもむなしく、
彼の町をも飲み込んでいく景色を
テレビは、流し続けていた。
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私の家族とは翌日には連絡が取れ、
全員無事だった。
でも、相当揺れが大きかったみたいで、
写真で見せてもらった実家の中は、ぐちゃぐちゃになっていた。
私の実家よりも海に近い、
というより海に面している、
彼と、彼の家族とは、一向に連絡が取れなかった。
彼の家族と連絡が取れたのは、3日が経ってからだった。
彼の実家も被害に遭ったみたいで、
今は避難所にいる、とのことだった。
彼はどうしているのか、彼のお母さんに聞いてみると
"あのね、実は"
"まだ、行方がわかってないの"
「え?」
"でもね、こっちは携帯もほとんど使えないし、情報がないの"
"きっとあの子のことだから、どこかの避難所で手伝いでもしてるはずよ"
"だから、大丈夫。安心して"
「いや…でも…」
"こっちは大丈夫だから。今は璃果ちゃんのご家族のことを優先して、ね?"
「はい…」
すぐにでも、地元に帰りたかったけど、
交通機関は、ほとんど機能していないし、
遠く離れた東京でさえ、計画停電で電気が消えたりするくらいなのだから
今は、じっと耐えるしかなかった。
結局、私が長期休暇を取って、地元に向かうことができたのは、
あの日から10日経ってのことだった。
先輩も部長も、
'会社のことは考えなくていい。そこらへんは上手くやっておくから。
今はとにかく、ご家族をお手伝いしてきなさい'
私は、みんなに感謝しつつ
いつもより遠回りを強いられてはいるけど、実家へ向かった。
まず、朝一番の新幹線で日本海側へ出て、
そこから、特急列車を乗り継いで、ひたすら北へと向かう。
特急の中は、私と同じ気持ちを持った人々でいっぱいだ。
何度も電車と新幹線を乗り継いで、
実家に着いた頃には、すっかり夜になっていた。
見えづらいけど、外見だけ見ると、
実家の様子は変わっていない。
玄関を開ける。
「お母さん!お父さん!」
”おかえりなさい、璃果”
"璃果!よく帰ってきたな"
二人の方から、私を抱きしめてくれた。
「二人とも、大丈夫?」
"ああ、家ん中はめちゃくちゃになったけども、ひとまずはな"
"寒かったでしょう、璃果"
”とりあえずこっち来て、火ぃあだれ”
「うん」
石油ストーブの前で、体を温める。
「お父さん、あのさ」
「帰ってきたところ、いきなりでごめんなんだけど」
"ん?"
"ああ、あの子のことだろ?"
"それなら気にすんな。明日、朝一番で送ってやっから"
"ちょうど昨日、道路も開いたって、テレビで言ってたしな"
「ありがとう…」
"璃果の気持ちはよく、わかってるつもりだから。"
"焦る気持ちもわかるけんども、今日はもう寝ろ"
「うん…」
久しぶりに入る自分の部屋は、ちゃんと綺麗になっていて
両親に感謝しながら、私はベッドに入った。
私が想像していた以上に、疲れていたのか
思いの外すぐに、私は意識を手放した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私とお父さんは、
太陽の出ない内に家を出て、彼のいる町へ向かった。
目的地まで約3時間、を示したナビは
ほとんどアテにならなかった。
1分、1秒でも早く助けようと向かう人、
街を離れて避難しようとする人、
最低限の生活物資を求めて、さまよう人。
ましてや車社会中心の町で、ガソリンは欠かせないもの。
幸い、私たちの車は大丈夫だったけど、
道路には、少ないガソリンを求める車で、長い列ができていた。
その間を"緊急支援"と書かれたトラックや重機を積んだ車、
迷彩柄の車たちが、縫うように駆けていく。
私たちが、彼のいる町に辿り着いた頃には、
太陽は中心を通り過ぎていた。
町へ向かうトンネルを抜けた後、
私の目の前に飛び込んできたのは、
あの日、テレビで見た絶望的な風景を
はるかに超える、現実がそこにあった。
海岸線から、山のへりまで、
ほとんど、ものというものが無くなっていた。
元が何かだったのかがわからない木材の塊や
港でよく見かけるような道具は
高台に沿うように連なっていて、
船の残骸や、一部分だけ削り取られた家が
大きな防波堤に吸い寄せられるようにして
固まっていた。
私はそこで初めて、残酷な現実に直面した。
彼の家族がいる避難所の近くに車を止める。
"いってきな、俺はここで待ってるから"
お父さんに見送られ、私は学校の校門をくぐった。
'璃果ちゃん!'
彼のお母さんが、私に気づいてくれた。
私は反射的に、抱きついた。
'璃果ちゃん、来てくれてありがとねぇ…'
「いえ…すいません、こんな大変な時に押しかけてしまって…」
'ううん、私は嬉しいの。'
'大変な時だからこそ、会えたら安心するのよ。'
「あの、それで…」
私は彼のことを、お母さんに聞いた。
'あの、実はね、昨日分かったことなんだけど'
'あの子、流されたみたいなの'
'あの時、直後からずっと避難誘導に専念してて、
取り残された人がいないか見回っていたらしいの。'
'近所のね、おじいちゃんをおんぶしながら
坂を上がって避難しようとしていたのを見たって
人がいたんだけど、
その人いわく、向かっていった方角にやってきたらしくてね、
たぶん、流されただろう、って…'
実家に戻ってきても、
私は、それを受け入れることが出来なかった。
あくまでも、'そうだろう'という予想だから。
彼なら、大丈夫。
きっと。
そう願っていた。信じ込んでいた。
そんな私の願いは、
2日後、
容赦なく、打ち砕かれた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その後から、ほとんど記憶がない。
唯一ある記憶は、彼の姿を目の前にして、
倒れたということ。
東京に帰ってきてから、
私は、家の外から出ることが出来なくなっていた。
ご飯を食べても、味気なく感じられて
一口、せいぜい二口くらいで止まってしまう。
弱くはないけど、あまり飲まない
お酒を煽る日々が続いた。
私の部屋には、置き配で頼んだ梅酒の空き缶と、
安いワインのボトルばかりが溜まっていった。
ある日、身に覚えのない段ボールが
家に送られてきた。
しかも着払い。
その差出人の名前は「増本綺良」。
状況を察して、とりあえず払っておく。
ガムテープを剥がして開けた中には、
電気式のお鍋と、鍋の素、
それにウーパールーパーが描かれた、かわいいTシャツ。
突拍子もないことをしてくる友人だから
どんなものを送り付けてきたかと思えば、
謎の組み合わせ。
困っていると、
また、チャイムの音がして
インターホンを覗いてみると
いた。
その差出人が。
状況を説明してもらいたかったので、
家の中に綺良ちゃんを入れると
開口一番、
"酒くっさ!!"
"全く、昼間っから何してるんですか"
「何してるのか、聞きたいのはこっちだよ…」
「なんでウチに来たの?」
「ってか、何?あの荷物は?」
"ああ、それですか。"
"何となく、来た方がいいかなーと思って"
"荷物は、重かったから、送っておいた"
「でも、着払いにしなくてもよくない?」
"ランチ代ですよ、ランチ代"
"ほら、座って座って"
"どうせ、まともに食べてないんでしょ?"
"私が作りますから"
抵抗したかったけど、
下手なことを言ったら、綺良ちゃんに何されるか
わからないので
ここは大人しく、綺良ちゃんの指示に従うことにした。
一見、不器用そうな綺良ちゃんだけど、
苦戦している様子もなく、
目の前に、ぐつぐつと音を立てた鍋が置かれた。
"これ、スーパーとかにも全然置いてないんですよ"
と言って、ドヤ顔で空っぽの鍋の素を見せる綺良ちゃん。
"食べてください"
少々不安だけど、口にする。
あっさりしてて、良い。
おいしいのはもちろんだけど、
何よりも、ちゃんと味を感じられたことが、嬉しかった。
そういえば、久しぶりに温かいものを食べた気がする。
目の前の視界がにじんできた。
なんでだろう。
ぽたぽた、と足元が濡れる。
私が食べるのを黙って見つめていた
綺良ちゃんが、口を開いた。
"しんどかったね。よく頑張ったね。"
そういって、背中をさすってくれた。
"今は何も考えられないだろうし、きっと後々焦ると思うけど、
それでいいんだよ"
「綺良ちゃん、ありがとう。」
「でも怖いの」
「このままじゃないと、いつか、彼のことを忘れてしまいそうで」
"大丈夫ですよ。"
"だって生きてる限り、自分の心の中に留まってるんだから"
"それが、忘れない、ってことですよ。"
「綺良ちゃん…」
私は綺良ちゃんの腕の中で、
ただただ、泣きじゃくっていた。
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あれから、1年が経って、
私は初めて、彼の元を訪れた。
「もう、1年経ったんだね」
「ちょっとだけ、受け入れられるようになったよ。」
「本当に、ありがとう。」
「絶対、忘れないからね。」
彼の目の前で、私は誓った。
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