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憶えておく、ということ

"忘れるというのは、神が人に与えたもうた素敵な能力だと思うんだけどね"
"その文法に則って言うならば、忘れずに覚えておくことの方が価値ある能力だと…"

何かの映画で聞いた台詞を思い出す。

そう、忘れずに覚える。

運命が変わったあの瞬間から、私に課せられた責務だ。

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「ほら!行くよ」

『うん』

私は少し引っ込み思案な彼の手を引き、放課後デートを楽しむ。

とはいえ、地方の高校生には手段が限られる。
精々国道沿いのファミレスで、ドリンクバーの飲み物片手に
何気ない会話に花を咲かせる位しかない。

最近あった模試の結果、教師や勉強に対する愚痴、
受験勉強に対する疲れ、引退した部活への思い、
共通の友達の話、週末の約束。

でも私は、そんな時間が大好きだった。
彼と思いを共有できる気がしたから。

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1年生の秋、彼の想いを込めた告白を、私は受け入れた。

ただ、正直不安だった。

引っ張るより引っ張ってほしい、愛するより愛されたい、
そんな願望が強い自分を受け入れてくれるのか、と。

でも時間が経つにつれ、彼の持つ"本当の優しさ"に魅かれていった。

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2年生の文化祭、私たちの学校では各クラスから男女1人ずつを実行委員として選ぶ。
私は真っ先に手を挙げ立候補した。

教室内の時間が一瞬止まり、ざわめきと共に動き出す。

なんと、斜め後ろに座っている彼が、手を挙げている。

こういう類にしては、あっさりと決まったというだけではなく、
彼の性格を知る故の意外過ぎる結末。

HRが終わった後、彼に理由を尋ねると
『茜なら絶対にやると思ってたから。』
『だから、僕が"茜の側にいて支えたい"って思ったんだ。』

そう言って真っ直ぐな眼差しを向ける彼を見て、
私は人目も憚らず彼の胸元に飛び込んだ。

感謝の気持ちを伝えるために。

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3年生の体育祭、高校生活最後の行事。
私は最終種目の学年選抜リレー、そのアンカーだった。

その競技前、

 "ごめん茜、腰痛が酷くて全力で走れないかもしれない…"

「ゆっかー、それなら大丈夫。もしリードされてても絶対逆転するから。
 無理しないで、自分のペースでいいからね。」

持病の腰痛を抱える前走者の親友から、2番手でバトンを受け取る。

僅かな差で前を走るのは同じソフトテニス部所属、
学内女子最速と言われる茶髪のスプリンター。
純粋な速さだけで勝つのは難しい。

私はギリギリまで真後ろに付き、最後の直線勝負に賭けることにした。

作戦通り、最後のコーナーを抜け相手の横に並んだその時、
左足から何かが切れる音と同時に痛みを感じた。

スピードが緩みかける。でも、

絶対に勝ちたい、約束を守りたい、期待に応えたい、
彼の前では絶対に負けたくない

思いが力に変わり、背中を押す。
ゴール前30cm、逆転勝利。

歓喜の輪に囲まれる中、彼が青ざめた顔で飛び込んできた。

『大丈夫、左足?』

「たいしたことないよ、大丈夫!」と言う私を
無理矢理引っ張って病院に連れていった彼の判断は正しかった。

左膝十字靭帯一部損傷。

引退試合に出場できず、半年以上のリハビリ。
彼は貴重な勉強時間を潰してまで、病院に付き合ってくれた。
 
正直、気持ちが落ち込んでいた私に
彼はあえて触れず、色々なところに連れて行ってくれた。

映画館、プラネタリウム、ショッピングモール…

誕生日には、ショッピング中に「かわいい」と思ったネックレスを
プレゼントしてくれた。

何か言ったわけでもないのに。

相手の僅かな変化を感じ取り、その時の感情や気持ちを推し量って接する。
そんな"本当の優しさ"を持つ彼と離れることは、考えられなかった。

「ファッション系の仕事をやりたい。」
『地場産業である水産業に関わりたい。』

互いの夢を叶えるために、たとえ別々の場所で生活することになったとしても。

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14時過ぎの杜の都に、白い車体に紫のラインが入った新幹線が飛び込んでくる。

「ここは明日雪なんだって?気を付けてね」

『茜こそ、東京とは言え冬なんだから、気を付けてよ』

「うん、ありがと」

"まもなく 13番線から はやて・こまち 26号…"

無機質な声と特徴的なメロディーが発車を知らせる。

「じゃあ、またね。」

『うん。必ず行くから。』

重さを感じる閉扉音の後、列車がゆっくりと動き始める。

私と彼の運命が変わる瞬間まで、あと24時間20分。

そう、あの瞬間から12年だ。

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