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お酒について#63

Jリーグが観客の声出し応援を試みた。

コロナ以前、一人でもカラオケに行っていた、それはプロ野球シーズンオフの頃が多かったように思う。

さて、旅行というものは歩かなければダメでありまして、歩くからこそ記憶に残る。と、決めつけますと、記憶に残らない旅行をしたければ全てタクシー移動する事が対論として成り立ちますが、歩きは歩き、車は車、バイクはバイク、ロバはロバの良さ、その移動手段の「思い出で」だけで括れば、それはそれで思い出で残りましょうが、反則的に『種田山頭火』の作俳のやり口を取り上げますと、やはり徒歩の方がその土地の印象を真摯に受け入れられるとも実証科学的に言い切れる、かもしれない。

そして、今の一般社会人が大声を出す時はどれくらいありましょうか、高円寺駅前に行きますと46時中大声を出す人を見る事ができますが(無料)、定額のサラリーを稼いでいる皆様はオペラ歌手やブックオフのスタッフでない限り中々大声を出す機会は無い、子供の教育を理由に大声を出すときだけ我を忘れ、それが当たり前であった時代も過ぎ去りつつあるかもしれない。

つまりコロナだなんだという以前に先進国では大声を出す機会がどんどん失われていていたのであり、「大声を発したい神経リレー」に対してコロナが最後の分断の斧を振り下ろしたとも言える。

結論。人はたまに大声を定期的に出さないと生きれない生物なのであり、大声を出さない大人しい人はメンヘラである、メンヘラは溜め込んで爆発するから怖い。

しかしながら常に感情をタイムリーに発して大声でしか表現できない常時表現主義のツーブロック男はイケイケである、ツーブロックのイケイケ怖い。

以上。









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