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気づきのことば ~ たくあんと沢庵和尚と…人生は”夢”

11月11日は、たくあん(漬物)の日です。
 
調べ物をしていて偶然知ったのですが、これはたくあんの需要拡大をはかることを目的に、全日本漬物共同組合連合会が制定した日なのだそうです。
 
まさか、たくあん記念日なる日があることも、このような団体があることも知りませんでしたが、この11月11日が選ばれたのにはそれなりの理由があります。
 
 
その一
11月11日(1が4つ横に並んでいる様)が、たくあん用の大根を並べて干している様子に似ているということ。
 
その二
1は英語でone=ワンですが、11月11日は1がたくさんあるので、たくさんのone(ワン)=たくわん=たくあん、とのこと(語呂合わせ?)。
 
 
ところで、たくあん漬けは、一説によると江戸時代初期の禅僧、沢庵(たくあん)和尚に由来(考案⁈)することをご存じでしょうか。
 
わたしは学生の時に、初めて沢庵和尚のことを知ったのですが、それまでは「たくあん」といえば漬物だったので、意外さと納得感が重なって不思議な感じがした記憶があります。
 
その沢庵和尚ですが、江戸時代初期に活躍した臨済宗大徳寺派の禅僧で、正確には沢庵宗彭(たくあん そうほう)といいます。
 
ウィキペディアによると…天正元年(1573年)、但馬国出石(たじまのくに いずし 今の兵庫県豊岡市)に生まれた沢庵は、10歳の時に出家得度、その後修行を積み、37歳の若さで京都の大徳寺の住持(住職)に就任しました。
 
後に紫衣事件に関わり出羽国上山(でわのくに かみのやま現在の山形県上山市)に流罪となりますが、大御所秀忠の死により大赦令が出されたため流罪を許され江戸にもどりました。
 
寛永16年(1639年)67歳の時、3代将軍家光が品川御殿の隣に建立した東海寺に、初代住職として招かれます。また家光のお召しに応じて登城し禅を説くなど、晩年は家光の帰依をうけました。
 
沢庵和尚の生涯と家光については、品川ネットTVの動画で詳しく紹介されています。


さて、品川の東海寺で晩年を過ごした沢庵和尚ですが、死に際し、弟子に辞世の偈を求められると、「夢」の一文字をしたため、筆を投げ示寂(じじゃく=亡くなること)したと伝えられています。また、その余白には次のように記されました。
 
百年三万六千日
弥勒(みろく) 観音(かんのん) 幾(いく)ばくの是非
是(ぜ)も亦、夢
非も亦、夢 
弥勒も夢
観音も亦、夢
仏云(いわ)く 応(まさ)に是(か)くの如き観(かん)を作(な)すべし

 
 
是(良い)も非(悪い)も、弥勒(菩薩)も観音(菩薩)も、人生は夢(観念の世界)。
 
人生(100年、36,000日)とは、沢庵和尚にとっては文字通り「夢」だったのでしょう。
 
 さて、
人生は、夢。

それなら…私たちは、夢を現実と錯覚して生きている、ということ…?

みなさんは、どう思いますか。
 

追補:
沢庵和尚と3代将軍家光のエピソードは、沢庵和尚ゆかりのお寺、宗鏡寺のHPを。



しば漬けのお話はこちら。


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