耐え忍ぶこころ
江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、仙厓(せんがい 1750-1837)の作品に、『堪忍柳画賛(かんにんやなぎがさん)』という墨書・墨画があります。
解説によると…
右に大きな「堪忍」の字。
中央には風になびく柳の絵。
左側には「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」の賛(ことば)。
人間生きていれば、辛いことや苦しいことがあるものです。そして「辛いこと・苦しいこと」とは多くの場合「自分の思い通りにならないこと」でもあります。
そのように、生きていれば気に入らない風が吹いて来ることもあるのですが、そこは風に揺れる柳のように、選り好みすることなく、風が吹くまま、枝葉は揺れるまま、そして、心は堪忍。
この画賛は、辛い時や苦しい時、わたしたちに生きる力をそっと与えてくれます。
さて、「堪忍」とはまさに「堪え忍ぶ」ことですが、作品の解説にもあるように仏道修行では忍辱(にんにく)といって大切な修行の徳目の一つとされています。
と、ことばで書くのは簡単ですが、実際に堪忍を日々実践するというのはなかなか“忍耐力”がいるものです。
ところで、みなさんにとって「幸せ」とはなんでしょうか?
食べたいものが食べられたら…幸せ?
欲しいものが手に入ったら…幸せ?
お金持ちになったら…幸せ?
社会的な地位を得たら…幸せ?
あるいは、ふつうに暮らせたら…幸せ?
どうやらわたしたちは人生が自分の思い通りになる(欲望が満たされる)ことを「幸せ」と呼んでいるのではないでしょうか。
とすると、逆に「自分の思い通りにならない状態」、これを「不幸」とか「苦しみ」というのですが…
健康に気を付けていたのに病気になったら…不幸?
嫌な人とも一緒に仕事をしないといけないのは…苦しみ?
いつまでも一緒にいたかったのに大切な家族を失ったら…不幸?
何も悪いことをしていないのに非難されたら…苦しみ?
堪忍とはまさに「自分の思い通りにならないこと=不幸や苦」に、じっと耐え忍ぶこと、といえます。
理不尽な目にあったら、「なんで自分だけが…」と文句の一つも言いたくなるのが人間というものですが、そこをじっと堪え忍ぶわけです。
と、書いてはみたものの、わたしもそれほど忍耐力があるわけではありませんから、黙ってじっと耐えるということはなかなかできません。だからこそ、そんな苦しい時・辛い時には、次にご紹介することばに助けてもらうのです。
我慢と忍耐は同じような意味で使われますが、我慢は仏教用語でもあります。
・我慢=我(われ)が慢(おご)る=他人と比べて思い上がること、慢心
・忍耐=耐え忍ぶこと
我慢というのはたいてい不本意ながらしているので、怒りや恨み・後悔を抱えてしまうもの。それで相手を責めるのですが、これが慢心につながります。
忍耐は、心の深いところに「ゆるし」がある、あるいは耐え忍ぶことを通して自分と他人をゆるしていくので、「眼のいろがふかくなり、いのちの根がふかくなる」のではないでしょうか…
そして、忍耐については、仏典にこんなお話があります。
お釈迦様の慈悲深い声が聞こえてくるようなお話です。
わたしも辛いことや嫌な目に遭った時には、このお話を思い出すようにしています。
「こういったことは間もなく過ぎ去るであろう」と。
そしてまた、何か良いことがあったり上手くいった時にも、このお話を思い出すようにしたいものです。
「こういったことは間もなく過ぎ去るであろう」と。
追伸:記事冒頭、柳の写真を撮るために安曇野をあちこち巡ってみました。柳巡りの記事はこちらから。
https://note.com/shozankomatsu/n/n38e2623dc3fb
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?