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エイリアンポップス~突然現れ主流になったポップスの話~①

日本の主流はロックでもジャズでもヒップホップでもなく、やはりポップスだ。

私の知っている昔の音楽と呼ばれる数々の曲は歌謡曲に分類されるものであったような気がする。


ポップスはいつの間にかお茶の間を侵食していった。

それはいつからだろう?

●そもそもポップミュージックって何?

ポップミュージックはそもそもパラサイトしてジャンルを作っていく、正当なロック正当なジャズ正当なヒップホップではなく、
いったん取り入れやすいメロディーやわかりやすい感情を入れ、手拍子や感性などが入れやすい、聞きやすい音楽の事を言う。
実際分類するも今や日本国内で流れている音楽のほぼすべてはこのポップミュージックに分類されるくらいだ。

●アイドル誕生

新三人娘(小柳ルミ子・南沙織・天地真理)の誕生は1971年だ。
彼女らは日本のアイドルビジネスの礎であり、彼女らのデビューによりポップスが広まっていったといっても過言ではない。
合同ライブや合同取材お茶の間でも目にすることも多くなる。
テレビの普及とともに、音楽を趣味としている人以外の人も音楽を耳にするようになり。(いやもちろんラジオのころから聞かれてただろうが、視覚情報も含めると回数は増えているはず)
音楽を歌唱力だけで評価する世界以外の可能性多様性が生まれたのだ。

くしくも同年レコード大賞を受賞したのはポップス尾崎紀世彦「また逢う日まで」である。

また三人娘以降「スター誕生!」という番組で続々とアイドルが輩出されることになるのだ。

私はポップスの侵略が始まったのはこの時、であり、それ以前は歌謡曲重視だったのでは?と考えている。

●作詞家作曲家の代替わり

阿久悠や松本隆の出現により日本のポップシーンが一気に沸き立った。
歌謡曲の風を装ったメロディアスなポップミュージックはいつの間にか宇崎竜童のギターを取り入れロックなポップスへと変容を遂げたのである。
そのロックな要素を取り入れたポップスは一気に男性シンガーにも広がる。
ジュリーこと沢田研二や、郷ひろみなど今でもお茶の間で誰かは名前を知っているレベルのシンガーもポップス出身だ。
ポップスが広まったことで一気にほかのジャンルもにぎわう。

演歌歌手の森進一はこのころ吉田拓郎とタッグをくみヒットチャートの襟裳岬を出した。
このようにしてポップスは一気に昭和に表れたのだ…誰も気づかないうちに。

続く

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