教育

人によって違いはあるだろう。
しかし、人が深く理解を得る時というのは、
『失敗』や『間違い』を経験し、新しく正解を知り得た時である。

ただ、今の教育では失敗や間違いを正当な道ではなく、正解が全てでそこから外れたものは  『外道』であるという考えにより、
子供達に限らず大人達までもが失敗を恐れ、妬み嫌う習慣にあると感じる。

だとすると、教育の中で最初からその失敗や間違いを恥ずかしいことや怖いことではない、正しいことだということを教えていけば、
子供達は勉学や自分の興味のあることに対して恐れず自分から進んで学ぼうという意識が生まれるのではないだろうか。

例えば教育の中で『3+2は5である』と学ぶ。
しかしそれでは3+2が5であることは学べても、
なぜ答えが5以外ではダメなのかは学べない。

今の教育上流石にそれだけではなく、確かにその計算の公式を教育の中で教えるのだろうが、
『3+2が6でない理由』は聞かなければ教えてくれないかも知れない。
子供達は計算の公式を学ぶので3+2が5であることはすぐにわかるようになるだろう。
3+2が6にならない理由は考えない。
考えなくても『足し算は足すのだから5になる』と無意識的に計算ができてしまうようになるからだ。

しかしその明らかな間違いを、教える側が
違うということをハッキリ明確に教えれば
子供達も頭で『これは違う』と認識し、
間違いと正解を確実に理解できるようになると思う。
そして、教育者が『例えその答えを間違えたとしても、導き出す方法がある』ということを子供達に伝えれば、
間違えたことに対して恐れたり、他人のミスを卑下するような思考には至りにくくなると思う。


私が伝えたいのは、
教育で大事なのはこの『認識』
が大事なのだということである。

簡潔であり、稚拙な文ではあるが、
自身が思ったことを書き留めておく。

普段気にしない『無意識』な部分を意識し、気になったことを日々追求していきます。