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#1 プロローグ

バモスはせまい箱の中にいました。

バモスは3ヶ月の子犬で、兄弟犬ムーブと身を寄せ合ってその箱の中にいました。

箱は硬いプラスチック製。
一方がスライド式の柵になっていて、そこから外の光や空気が入ってきます。

バモスは、外の様子を知りたくて、柵の間から入ってくる匂いを嗅ぎ、聞こえてくる周囲の物音に耳を傾けました。嗅いだことのない匂いがし、聞いたことのない「にんげん」たちの声が何種類か聞こえました。

「ねえ、ムーブ、ここはどこだろう。ぼくたちどうなるんだろう。」
「バモス、きっと楽しいところだよ。あの人たち、きっと遊んでくれるんだよ。」
「ちがうよ、ムーブ。きっとこわいところだよ。あの人たち、知らない人だから、きっとこわいコトをされるんだよ。」
「こわいコトってなんだい、バモス。」
「わかんないけど、こわいコトはこわいコトだよ。」

ムーブはもっと外の様子を見ようと柵のほうへ行き、はんたいにバモスは、箱の後ろへ下がれるだけ下がり、箱の角に嵌まるように体を密着させて、できるだけ縮こまって小さく震えていました。

しばらくバモスが震えていると、外のにんげんのひとりが何かを言い、箱の柵を持ち上げて開けました。

「ほら、遊んでくれるんだよ。」ムーブは外に出ていこうとします。
「だめだよ、ムーブ。こわいよ。」バモスはいっそう怯え、後ずさりしようとしました。しかし、すでに下がれるだけ下がっていたので、前足がつっぱって体が垂直に起き、背中全体を壁に押しつける形になってしまいました。

「ムーブ、はやく入って、こわいよ!」
にんげんたちが何かを言いながらムーブをとり囲んでいます。
「ムーブ!はやく、はやく入って!」
「大丈夫だよ、バモス。みんなやさしいよ。」
「ムーブ、それでもこわいよ。はやく中に入ってよ。」
バモスは、にんげんたちがムーブに、何をしようとしていのるかを見ようと、びくびくしながら箱の外が見えるところまで、身を低くしながら体を伸ばし、上目遣いで外を覗きました。

バモスが入っている箱は、どこかの部屋の中に置いてあるようでした。バモスから見える場所にはソファがあり、おとこのひとが一人とおんなのひとが一人座っていました。また箱の壁に隠れてバモスから見えないあたりにも、にんげんの気配がして、バモスはそちらも見ようと、一歩前にはって行こうとしました。

その時、ソファに座っていた二人のにんげんたちが互いにひとことづつ言いあって、ムーブにゆっくりと手をのばしました。バモスからはその様子がよく見えませんでしたが、にんげんたちがムーブに何かをしようとしていることは感じとれました。バモスは怯え、急いで箱の一番うしろまで後ずさりして、ますます震えだしました。

「ムーブ、こわいよ。はやく箱のなかに戻って!」
バモスは、ムーブに箱の中に戻ってもらおうとしますが、ムーブはいっこうに戻ろうとしません。その間もにんげんたちはずっとなにかしゃべりあいながら、ゴソゴソとムーブに何かをしています。

「ムーブ、お願い入ってきて!」
「バモス、大丈夫だよ。」
「大丈夫じゃないよ、こわいよ。はやく入って!」
「大丈夫だよバモス。みんな僕のことをいっぱい撫でてくれているよ。」
にんげんたちは、笑顔でムーブに話しかけながら、その頭や背中を代わる代わる撫でていました。

「では、そろそろボランティアオリエンテーションをはじめましょうか。」

バモスから見えなかったにんげんがそう言って、ムーブを犬運搬用のクレートの中に戻し、柵状の扉を閉めました。ソファに座っていたおとこのひとは、その話を聞きながらこう思っていました。「外に出てきたキツネ色の子は懐っこくてかわいかっけど、中で縮こまっていた黒い方は、相当こわがりみたいだ。やっぱり"ホゴケン"って人に慣れていないもんなんだな。」

次にバモスとそのおとこのひとが顔をあわせるのは、これからもう少し後のこと。この時はまだ、バモスもおとこのひとも、互いが一緒に暮らすとは思ってもいませんでした。バモスがおとこのひとの家に、家族として迎えられる一年とちょっと前のことでした。

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