見出し画像

カメラ日記「熱量だけでは。」

こんばんは。ここ2、3日は本を読んだり、写真のライバル母とタダで行ける公園に撮影をしに行ったり充実した日々を過ごしていた。

帰宅して自分のデータを、メディアから移して少し見直したのだがやはり自分だけだと、自分自身だけの満足になってしまう事も多いことがあると思った。どうしたもんかと、その日はだいぶ早く就寝したのを覚えているが、結局顔が浮腫んだだけで解決には至らなかった。

朝、ひたすら眠たい眠気に引っ張られて身支度をするのも半ば、父はなんと額に入れられた私が撮影した写真を見せてくれたのだった。


初めて額装された作品。


昨晩、父がこのデータを見ながら
「何をテーマに、何を意図して伝えようとしているのかが不明瞭だ」
との指摘をうけて母のスマホデータにううーんと見いっていたので今回の撮影は母に軍配(勝ち負けでは無いが一票入れるなら)が上がるだろうと思い込んでいた。

しかし、こまごまと食料が並ぶ棚の上に、なんとも豪華に額装され、少し手直しされた私が撮影した写真が。率直に嬉しいという感情で一杯になった。

母の写真はピザ工房で働く人と前面に広がるたわわなフルーツ達で主観では人物の配置とフルーツの鮮やかさのバランスがすごく良かった!

熱量だけではその場の勢いになってしまう。
細く長くこれが今の写真ライフには大切になってくると思う。

人の数だけ見る人がいても、撮影する人はひとり。
写真を始めて見えているもの、見えないものをまた見たいと思うようになった。熱量もちろん大切なのだけど、いったん立ち止まり、構えを変えてみるとその分選択肢だって増える。

あーだこーだいう前に、率直に人が撮りたい!
毛穴まで撮りまくりたい(笑)

そんな、欲求不満を長患いの躁うつ病患者はまったりと考えている。


今日も良い夜だ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?