マガジンのカバー画像

わたしを創るものたち★笑病日誌

10
わたくし、高山笑韻をかたちづくってきた過去の出来事のオハナシ(^^)笑いのエッセンス散りばめてもダークなあの時期も、もはや生クリームたっぷりのフラペチーノを食べた時のようなほっこ… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

笑病日誌「地球人の居ない一週間」

入院がきまりそうなのです。 …今度は私ではなく現役喧嘩仲間の母親の膝の関節の手術とリハビリで一週間の入院になりそうです。 それに備えて今からソワソワドキドキしていつも通りの高山家を自分の生活もコロコロ転がしながら洗濯に掃除に炊事に…。よし、やったるぜ! 先ほどもどちらが悪い訳でもないケンカにペットのワンコ、テン君が仲裁に入り一番の心配はテン君の持病の犬てんかんのお薬を上手に飲ませる事だと悟りました。 最近では小言を言われる機会も少なくなって、たまの贅沢で二人だけで外食に

笑病日記「白いキョトン」

忘れもしない、去年の7月1日に風邪をこじらせ3か月以上続いた咳のため内科を2件あっちへ行き、こっちへ行き全身を揺らしておそらく喘息であろうが治らない状態が続いていたため専門医である街の専門医である某クリニックの診察を受けることにした。 時はコロナショックの何派であるか…もうそれもわすれてしまった。しかしあのコロナが間接的にであるが私の命を救ったかもしれない。そうでも思わないとやっていられない。 一時期、メルカリ等のフリマアプリで転売が相次いで問題になった、指先にくっける例

エッセイ「夏の終わりに高熱を。」

人生で最高の熱のハイスコアをたたき出したのは4年ほど前です。 名古屋で少しだけ不動産会社でアルバイトをしていた時に、慣れない土地、仕事、そして一人きりで何もかもしなければならないという当たり前だけど史上最大の自己満足の「一人暮らし」を半ば強行させてなんとか順調にいきはじめた頃、まだあの豪華客船のウィルスが対岸の火事に感じられていたあの頃… 40.0 問診の為記入していた時に出た体温計からはじき出された、人生で最大の熱のハイスコアにさらにクラクラしたのですが診察で「風邪」

エッセイ「眠れぬ夜のお風呂のたしなみ」

女性はみんな、お風呂が好き。そんな固定概念があると思います。いや、やっぱりお風呂が好きな女性は可愛らしい。お気に入りのバスタイムグッズでのんびりと一日の疲れをとる。父は某レジャー施設の雑務係で、お風呂担当になるシフトがあるのだが、最後の最後まで楽しんで帰宅されるのはやはり男性より女性が断然多いそうです。 眠れない夜、厳密にいえば少し眠って横になっても眠れないけれどかといって、シャワーを浴びる時間でもないこの早朝三時。何をしよう。 早朝だが、飲み忘れ防止のために朝の薬をすき

エッセイ「積極的な休息」

前回の投稿で臨時の診察があり、もう20代の入退院の時からお世話になっている主治医の顔を見ただけでかれこれ15年近く小脇に抱えた小さかったり、大きな気分の波がすぅーーーっと波が穏やかになり、結果一錠お薬は増えましたが何とか自分と仲良くすることが今後の、これからの私の課題になりそうです。 のほほんとしていても日は暮れていくのですが、最近は本当に行く先々でありがたい言葉をもらったりしています。大きなトラブルもなく、病気のデパート(ちょっと表現が古い)ですが、18歳になる愛犬も元気

エッセイ「ハロウィンにも高熱を」

先日投稿したエッセイ「夏の終わりに高熱を」の続編ではないですが、またしても不名誉にもおそらく風邪で今度は以前よりも高い38.6度の熱が出てしまいました。 この高熱に気が付いたのは冬の訪れと思い上着の重ね着の数が増え、日中暖房のついている部屋で四枚もの上着を着ているのに寒いという私と周りの人たちの体感温度が違うのがまずひとつ。そして、なにより(味覚はちゃんとあるけれど)極端に落ちた食欲です。 母が不思議そうで、顔をしかめていたのが未だに印象に残っています。 飲めないお酒でも

エッセイ「感情の味変!」

先月の誕生日はいろんな方々に、おめでとうというお言葉や両親からは36歳になったので「今年からは(注文するのが恥ずかしいから)ローソクは卒業だからな」と言われてようやく大人にならなきゃな、と思ってぼやぼやして焦っていました。今は自分の生活のリズムや生活を立て直す事で、本当に精一杯で、その中で今熱中できて家族でできる写真・カメラの趣味などがあり本当に幸せです。 最近では支援員さんや、看護師さんや主治医の先生の尽力や、家族や友達などたまにしか会うことがなくなったけれど、会えば親し

笑病日誌「ホップステップ、ゼンシン」

今日とある方とお話をしていて、来年の話になり私はウサギ年なので年女じゃなくなるわぁーとか、年末年始の予定を聞かれて体調が心配で…などとお話をしていました。実は昨日も喘息の発作の前触れが表れて、以前はイチマルキューイチマルキューと頭を悩ませながら私より慌てる母でしたが今回は、なんとかかかりつけの病院の呼吸器内科の先生に見て頂くことができました。 検査や何やらすませて、帰宅が出た時にはもうお月様がお空に輝くそんな時間帯で帰宅した私たち母娘にお腹を空かせて待っていた父にフライング

笑病日誌★精神科医の「ま、いっか」

小さな小さな町医者が今年度をもって閉院する。理由は知らないけど後継者の息子が別の場所で開業をし、大先生は引退すると母から聞いた。 私も診察をしてもらったことがあるのだが、医者という職業はどうも神格化されやすいように思うのは私だけでは無いはずだ。私が過去メンタルクリニックと意見の違いから医療難民、情報難民でかかりつけの医者から離れた時に駆け込んだのがその小さな個人の医院で内科、小児科、心療内科、精神科と幅広く診療している。   結論から話をすると、処方薬は少し今の方が落ち着いて

わたしのこと

はじめまして。笑が韻を踏み笑顔が笑顔を運び込むように名付けたペンネームというのは後付けでわたしのことを少し。 1987年10月 静岡県浜松市に生まれ小学生時分当時は珍かった不登校になりました。小学生ながら先生怖いという本音が言えず、ただ朝お腹いたい(ふり)で夜は寝付けず朝はもちろん起きられず、ただただ子供クリニックに通う日々でした。 そこの先生が児童精神科に繋いでくれましたが、記憶にあるものは緑色のソファと羊?のような動物の額縁の絵。 ここでも自分の心を悟られるのが嫌だ