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遅刻の言い訳2

 幼い頃から注意されることが嫌いだった。常にあらゆる選択肢から正しいと思う言動を取捨選択している自負がそこそこある。というか、結構ある気がする。そんなとってもおこがましい人間なのである。自己中心。とにもかくにも自分の言動を注意されたり怒られたりすることが極めて苦手なのである(ちなみに教室の片隅で人が怒られているのを見ることは好きな、性格の悪いタチでもある)。中学時代には同じ言動に対して、別途複数の教師から怒られる謎シチュエーションに巻き込まれ、2人目の教師のお叱りが始まる際、「先生、その件、ぼく怒られ済みです」なんて言って、余計にこっぴどく怒られたこともあった。

 幼い頃から理屈っぽい男でもあった。常にあらゆる選択肢から正しいと思う言動を取捨選択しているつもりでも、一歩客観的な視座に立って考えてみるとどう考えても自分が100%悪いシチュエーションが時々存在する。というか、結構ある気がする。そんないたらない人間なのである。未熟者。そんなときはあらかじめ注意される前に言い訳を考える。この言い訳に関して、僕は結構な自信がある。特に誰が悪いわけでもなく、もちろん自分も悪くないように仕立てる言い訳。あくまでたまたまそうなってしまったかのような言い訳。自分も被害者。事故。

 そんな言い訳に自信のあるぼくでも頭を悩まされるのが遅刻の言い訳。特に朝の遅刻は十中八九寝坊である。寝坊は言い訳が難しい。だってたいていのシチュエーションで存在するはずのあらゆる選択肢がそもそもない。起きたか起きていないかだけ。厳密に言えば起きるか起きないの選択肢さえなく、起きれたか起きれなかっただけ。そもそも選んでいないのである。あんなにも楽しみにしていた約束に時間通りたどり着けないぼくも被害者。ただ、こんな幼稚な言い訳が通じるはずもないので、15分遅れそうな場合は「30分遅れる」とだけ伝え、15分後に到着し、残りの15分を爆速で巻いた感を演出する(緊急のトイレ休憩を挟んでも10分前に到着できる)。こころなしか、待っていた友達も「しょーご、15分も巻くほど急いだんだな」みたいな和やかな表情をいつもしてくれているような気がする。みんなありがとう。

 とある撮影の帰り道の出来事、時刻18時30分。僕は19時30分からの打ち合わせに出るべく約1時間の余裕を持ってロケ車両で会社に戻っていた。
会社まで残り10分ほどになった、ラーメン二郎三田本店を超えた右折エリアにて右折待ちで停車していた前のタクシーに対向車線のバイクがそのまま激突。第一目撃者の僕らはそのまま車を脇に停車させ、駆け寄る。当初うずくまっていたバイク運転手も事故から数分後自力で歩くことができたものの、念の為、警察と救急車を手配。その後はバイク運転手は救急車で搬送され、現場はタクシー運転手と警察に任せ、車に戻る矢先、スマホが示す時刻はなんと19時26分!

 慌てて次の打ち合わせチームのチャットに「すみません、目の前で事故が起きてしまい救急車を呼んでいたら10分ほど遅れてしまいそうです。」と送信。

 と、ここで疑問が1つ浮かぶ。「事故で遅刻」というこの世で幾度となく擦られてきたであろう遅刻の言い訳、社会人にもなって本当に信じてもらえるのだろうか。と心配していたものの、幸いにも一緒に会社に戻っていた先輩が証人となって、事なきを得た。

 そんなこんなで、言い訳好きの屁理屈男であるぼくに新たなボキャブラリーが追加された一幕であった。ただ、気づいたらぼくも23歳。22歳まではクソガキって感じな気がするが23歳はオトナッ☆って感じがする。注意してくれる人ほどありがたい人はいない。とても大切な存在。早く素直な心を手に入れたいものである。そして遅刻も金輪際しないつもりである(が、ぼくは22:02にこの世に生を享けたらしい。22:00〜6:00の出産は時間外出産というくくりになり、追加金3万円を支払わなければならないみたい。この世に2分遅刻してきた男。どうやら生まれながらにして遅刻しがちな十字架を背負っているようだ)(次回遅刻の保険)。


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