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苗字のはなし

 先日の『フワちゃんの虜』を書きながらひとつ思い出したことがあった。実は僕のもうひとつの苗字もなかなかカッコいいということ。

 結論、もうひとつの苗字があまりにもカッコいいがために、今の菅野という苗字を気にいることができないまま、もうすぐ23年が経とうとしている。そしてもうひとつ、菅野という苗字には厄介なことに、「かんの」・「すがの」・「すげの」とおおよそ3パターン(だいたいは前者2パターン)の読み方があり、初対面の人にいちいち読み方を説明する余分な1ラリーのコミュニケーションが発生する(極力それを省くためにLINEの登録名は「菅野匠悟(すがのしょうご)」にしている)。さらに自分でもわからないのが、口頭で「すがのです。」と伝えると、「竹冠のほうですか?それとも草冠のほうですか?」との返答がくることが少なくない。口頭で「かんのです。」と伝えているのであればわかるが、竹冠の「管」はどう考えても「すが」とは読まない。おとなな僕は「竹冠じゃ、くだのさんだから!」なんてことは言わずに、笑顔で「草冠のほうです。」とあくまでクールに応答する。ただこの苗字は面倒なことばかりではなく、例えば実家にいたときに固定電話に営業電話で「かんの様のお宅でしょうか?」とかかってきた時に、「違います。」と迅速かつ合法的に一瞬で電話を切ることができる。これぞ伝家の宝刀。ジャイアンツの菅野で言うところのスライダーなわけである。もしかしたら上述した「すがの」or「かんの」なのか問題、あるいは竹冠or草冠問題で今まで費やした時間は、この伝家の宝刀、営業電話一瞬切りによって結果的にはプラスマイナス0なのかもしれない。世界はうまくできている。

 そもそも僕の菅野(すがの)という苗字は父方の苗字で、ルーツは福島にある。福島の一部地域ではこの菅野という苗字は「すげの」と読まれることが一般的だそうで、小学生のころ祖母のお葬式に来ていた親戚は同じ漢字にもかかわらずみんな「すげの」さんで驚いたことを今でも鮮明に覚えている。そしてそんな「すげの」という読み方を気に入らなかった祖父が遥か昔、栃木に住民票を移す際に「すがの」に改名したエピソードに驚いたことを今でも濃く鮮明に覚えている(どうせ改名するならいちばんメジャーな「かんの」にしといてくれよ!)。

 1人で菅野ネタで盛り上がってしまいました。そろそろ本題へ。

 そう、僕のもうひとつ(母方)の苗字はなかなかカッコいい。

 その名も、髙宮(たかみや)である。

 まず、高宮でなく髙宮なのが良い。そして宮がつくところが品があってさらに良い。皇室にいる気分。高貴。

 名前とくっつけると、髙宮匠悟(たかみやしょうご)。どうだろうか。なんとなく、進研ゼミの付録についてくる漫画の主人公の1つ上の先輩で、サッカー部のエースで勉強の成績もトップ、みたいな。チヤホヤされてる感じ。

 しかし、とても残念なことにこの話を友人たちにすると、竹冠or草冠問題と同じくらいの少なくない確率で「髙宮だったら名前負けするから菅野で良かったんだよ。」との一言が僕に向かって放たれる。どうやら人には人に合った苗字が与えられるようだ。たしかに不破聖衣来もあの不破聖衣来だから、増してカッコいいのかもしれない。

 ただ、「髙宮だったら名前負けするよ。」に対して、いつも僕は心のかたすみで「いやいやいや、髙宮匠悟だったら、もう少し、髙宮匠悟らしく振る舞うし。品だせるし。」とブツブツ唱えるのであった。

 嗚呼、こんな屁理屈を並べている調子では、一生髙宮の振る舞いはできなそうだ…………。


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