2015/12/14 Clean Bandit

週一でライブを観なくなって久しい。それでも何とか月一くらいで好きなアーティストが来日するので、ライブ鑑賞という習慣というか趣味自体は失われないでいる。

最近になって漸く時間ができたので、この備忘録用noteに久しぶりに認めようという気になった。そういう気になってから数週間やきもきしていたのは言わないでおくべきか。いや、敢えて言うならば、依頼を受けてお金をいただいて執筆しているわけでもないので、一言、二言で終わらせることもできるのだけど、それならtwitterでつぶやくのと変わりないし、何ならわざわざ公にせず心に秘めておけば良いじゃないか、さらには、個人的な備忘録としてわざわざ長文を書き連ねることへの面倒臭さ、もといその時間でもっと有益なことができるのではないか? という(主に怠惰な)思いと、久しぶりにちょっと気合を入れてライブ鑑賞の回想録を書きたい、という欲求がせめぎ合った結果、辛くも後者が勝利したわけである。

そんなわけで、そのせめぎ合いに数週間もやきもきしていたのだけど、それでも立ち消えずにこうして筆じゃなくてキーボードを叩いているのは、最近「あれこれ考える間に行動してしまえば、5分ほどその行為を続けるうちにやる気が出てくる」というような一説を読んだからで、そして今、僕はまさにその一説を説いたどこかの誰かの思う壺となっている。

――総じて読む人にはどうでも良い話だ。書き出しにいちいち管を巻くのは悪い癖だな。

   * * *

2015年12月14日。
彼女は大変なものを盗んでいきました。それはあなたの下心です――

もう随分と時間が経ってしまったので、相当に記憶が曖昧なところがあるが、気づけば来日するたびにライブを観に行っているClean Banditのために、その日僕は赤坂へ赴いた。もうすぐやってくるクリスマスの気配に赤坂サカスのイルミネーションは煌きを増し、冷たく澄んだ師走の夜気に、特設スケートリンクではしゃぐ子供達の声が遠く遠く響き渡る。バーのテラスに寂しく佇むガスストーブの温もりは淡く、吹き下ろしのビル風が鋭く肌を刺す。何分、半年前の話なので、このくだりは半ばフィクションである。

BLITZ脇の階段に移動し、僕は“清潔な盗賊”(『Rather Be』MV参照)に心を奪われた大勢の被害者たちの列に加わった。ライブへの期待に胸を膨らませ、熱く興奮したいところだが、いやしかしどうにもこうにもとにかく寒い。君の冷えた左手を僕の右ポケットにお招きする為のこの上ない程の理由になるとしても冬が寒いのは本当に良くない。冬場の待機時間は、筋肉痛が翌日にやって来なくなった身体に応え、猫背はさらに丸みを帯びてしまう。こんな状態で本物の盗賊にでも出くわしたら、心も身体もやられてしまう。日本が治安良くって本当に良かった。

思えば、以前は好きなアーティストのライブ且つ最前列を狙える程度に整理番号の早い番号のチケットを持っていたら、荷物をロッカーに預け、冬場でもTシャツ1枚で寒さに打ち震えながら耐え忍んだものだが、僕もいつの間にか年を取って、そんなことをしなくなった。荷物も上着も預けず、フロアの中盤かPA前に陣取るようになり、むしろ、最近はジャズに傾倒しているせいでライブハウスよりもビルボードやブルーノートに出向くことが多く、そんなことをする機会もほとんどなくなってしまった。こと「ライブ鑑賞」においては年を取ると、学生時代にはなかった大人の経済力に物言わせて良い番号ないし座席を手に入れるか、観れりゃ良いということで最前列を目指さなくなるか、に二分されるように思う。これもある種の“大人買い”だろうか。

長い管巻きの上に余談が絡みついたが、開場時刻になると同時に、コアなファンであろうTシャツ姿の若い子たちが一目散に最前列を目指して駆け出していった。僕はと言うと、比較的早い番号であるにもかかわらず、優雅にドリンクを手に入れてから会場入りし、ステージ全体が見やすそうな後方の一段高いところの柵前に陣取る。柵に持たれることができるのとそうでないのとでは疲れ方が全然違う。だって僕の身体はもう筋肉痛が翌日に来な(略)

「あったかいコーヒーがあればいい」と口を尖らせたが思い通りにはいかないな。ちびちびとビールを飲みながらスマホ片手に開演を待つ。時間の経過とともに、フロアが人で埋め尽くされていき、お台場のzeppじゃなくとも広がるダイバーシティ感。その光景を後ろから眺め眺め、同じライブハウスでも邦ロックと外タレとでは客層が顕著に異なるのを面白く思った。前者のときにはほとんど見られない外国人が散見され、日本人は額をむき出しにした明るい色のポニーテールに濃いめのルージュと鋭いアイラインで飾り立てた、アリアナ・グランデもどきみたいな日本人女子が量産される。タイプの違う外タレでも共通してよくいる、この外国かぶれみたいな女の子のフォーマット(主にメイク)は何に帰来しているのだろう? 海外ドラマ? 一方、男子はモード寄りのスタイリングが比較的多い。

ところで、そんな彼らに似たパーティーピープルからのパーリーピーポー転じてパリピが、どういう経路で発生するか長いこと不思議に思っていたのだが、あるとき不意に、中学や高校の文化祭等の行事で、数人でチームを組んでダンスユニットを結成していた、学年でもイケてる(風の)奴らの成れの果てがパリピなのだと思い至った。いわゆるスクールカーストの上位層、但し学力・知性は下位層が多い(本当に酷いケースだと年齢≒IQみたいな)輩の成れの果て――それがパリピの正体。自分でも驚くほどにあまりにもこの考えがしっくりきたので、この閃きは神託の類だったと思う。アンドリュー・ワイルズもフェルマーの最終定理を証明した時はこんな気分だったのではなかろうか。

   文化祭で踊っちゃう奴ら² + 時間² = パリピ²

そういえば知人に学生時代にダンスユニットを組んで踊っていた人がいるが、その人はパリピどころかこじらせ系のお一人様になっているので、学生時代に人前で踊っていた人が、漏れなくパリピになるわけではないようだ。スクールカースト上位の文化祭で踊っちゃう奴らの中にもカーストがあって、“ダンサー”系と“踊ってみた”系に分かれるのだろう。

悶々としているうちにフロアは(いろんな意味で)多種多様な人種で満ち満ちて、その熱気が絶頂に達したときかどうかは知るところではないが、SEが歓声に変わり、“盗賊”たちが姿を現した。ジャック、ルーク、サポートのエリザベス、クリスティーナ、名前の分からない女の子、そして、少し遅れて最後にグレースが登場した瞬間、それまで上がっていた歓声が明らかに色を変えた。

「お、おお……!っふ!」

大きく開かれた胸元から除くあまりの爆乳っぷりに、全BLITZがどよめく。どよどよ、という効果音が見えるようだ。すごい。グレースの場合、元々の持ち物の大きさもさることながら、アンダーが締まって細いから余計にその隆起が際立つ。最前列は色々と激震だったことだろう。白い薄手のタンクトップだし、なんならその先端に何かが見えていたのではないか? なぜこんな後ろに陣取ったオレ? 荷物も上着も預けて最前列を目指すべきだったのではないか!?
参考資料:Clean Bandit - Come Over ft. Stylo G
https://www.youtube.com/watch?v=tcpINFl5NSU

冗談はさておき、白い衣装に身を包んだ彼女のスノースマイルと客の狼狽のギャップは、後ろから見ていてそれはそれは愉快だった。久しぶりのnoteがおっぱいの話ばかりになってしまうとライブ備忘録というこのnoteの建てつけがただの建前になってしまうので(既にライブの感想もクソもない空気だけど)ここらで気分を変えて、編成とセットリストの紹介。

・メンバー
ジャック(Jack Patterson – bass guitar, keyboard, backing vocals and piano)
ルーク(Luke Patterson – drums, percussion)
グレース(Grace Chatto – cello, percussion, backing vocals, huge boobs)

・サポート
エリザベス(Elisabeth Troy – lead vocals)
クリスティーナ(Christina Hizon – chorus, keyboard, violin)
名前失念(Unknown Woman – chorus, and more)

・セットリスト
1. Real Love
2. Cologne
3. Stronger
4. A+E
5. Come Over
6. Up Again
7. Disconnect
8. Extraordinary
9. Heart On Fire
10. Mozart's House
11. Dust Clears
12. Nightingale
En.1. Show Me Love
En.2. Rather Be

前回来日時のLIQUIDROOM公演に続いて、今回もヴァイオリンのニール(Milan Neil Amin-Smith)は反日で来日拒否、じゃなくて病欠。その前のelectoroxも病欠だったので、これで2回連続欠席。もう1回休んだら単位が危ないレベル。ググったら海外公演でも結構ドタキャンが多いらしいので、元々そういう性分なのかもしれない。気分屋なんだろう、きっと。あるいはYears & Yearsのオリーとの破局を引きずっているのかもしれない。大失恋の後に極東の島国でライブなんかやってられるかって話だ。(そこはプロとしてやってくれよ)

さて、この1年で新作が出たわけでもないので、セットリストに大きな変更はなく(多分)、エレクトロにクラシックという、僕の大好きな“相反する要素の融和”感溢れる楽曲に終始、心躍った。グレースの胸も躍った。やっぱりいいなあ……あ、曲がね(いや、曲もね)。ライブが始まって、時間が経つほどにオーディエンスのボルテージ(?)が上昇し、会場の熱気を増すばかり。そして、その熱を受けて徐々にグレースのデコルテがじんわりと汗ばんで、艶めかしい艶やかな光を放ち、上気しながらブロンドを振り乱す様がなんともエロい。これぞ洋モノの醍醐味というか、くそ、やっぱり最前列に行くべきだっ(略)

   * * *

改めてライブを観てみて、Clean Banditというバンドはつくづく“ポップ”なバンドだなと思った。“エレクトロ×ストリングス”という彼らの特徴を分解すると、エレクトロ・ミュージックはダンスミュージックが大衆化した昨今、トランス、テクノ、ハウス、ダブ・ステップ、シンセ・ポップ、etc……細分化はされているものの広義の意味合いにおいて十二分に人々の耳に馴染んでおり、また、ストリングスはある種全時代的というか、クラシック音楽が誰にとっても一定好意的な(興味の差異はあれど嫌悪する人はあまりいないだろう)音楽であることから、これら2つが合わさった彼らの特徴は時代に迎合していて、極めて大衆的≒ポップだ。

そして、ちょうど彼らが『Rather Be』をリリースした2014年というタイミングは、2010年代前半から「要するにこれってトランスじゃないの?」という疑問を呈することすら許さない空気を押し付ける勢いでEDMという言葉が市民権を獲得、世間を席巻した頃合で、世界中で新しい世代の数多のDJが名を挙げ、EDMフェスが世界各地で乱立(日本にもULTRAが上陸)していた。その結果、音楽に触れる人々の多くが、「音楽=聴く」から「音楽=踊る」にシフトし、このことは各種ライブやフェスの動員を伸ばす要因となっている。

「CDが売れない売れない!」と、このご時世に相変わらず売れ行きの基準をCDに置いて、テクノロジーの進歩に付いていけずに懐古ばかりしている愚かな音楽業界がライブの重要性に気づき始めた頃、「音楽=踊る」の余波はジャンルと国境を超えて邦ロック界隈にまで及び、フェスを開けばどこもかしこも4つ打ちが鳴っていた。見た目もコンセプトも全然違うアーティストが、揃いも揃って馬鹿みたいに4つ打ちを鳴らし、煽られた観客もまた阿保みたいに跳ねて跳ねて――そんな光景が常態化してしまった。今になれば、それは一過性のものだったのかもしれないが、相も変わらずフェスでは今もそういう音楽が必要とされている。当時は4つ打ちなんて縁の無さそうなアーティストまでこぞってそうしていたのだから、EDMブーム恐るべしである。

(ちなみに今は4つ打ちに代わって、広義のブラックミュージックの要素が混ざるものがウケていて、それはceroとかsuchmosの隆盛を見れば分かる。そして、それは2012年のRobert Glasper『Black Radio』のグラミー受賞がひとつの契機となり、翌2013年のDaft Punk『Random Access Memories』のグラミー受賞が決定的なものしたと感じている。この辺の話は今月Robert Glasper Experimentを見終えた後にでも言及したい。ともかく4つ打ちに心酔していた人たちが、レイドバックをクールに感じるようになるのだから、流行りってのは恐ろしい。リズムやメロディが大きく変わっても、どうしたって人々は踊り続けている。)

さらに彼らがヒットした要因を付け加えるならば、生来、ヒトという生き物は違和感や複雑さに好意的に反応する性質があるらしく、“エレクトロ×ストリングス”という彼らの特徴はそういう点にも合致している。世に溢れる「新発明」、「偉大な発明」と謳われるものをよく見てもらうと分かるが、その実は、ほとんど既存の要素の掛け合わせである。appleのCEOティム・クックも、ブルームバーグのインタビューで「コラボレーションがイノベーションを生み出す」という旨の話をしており(うろ覚え)、今から何か革新的なことを為したい、あるいは素晴らしい曲を作りたいを思っているバンドマン、ミュージシャンは、まずは既存の音楽からまだ誰もやったことのない掛け合わせを探してみるのが良いだろう。

本質的な意味で、ゼロからの発明というのは極めて稀なケースである。なぜなら「知らないこと」から何ができるのかは「知りようがない」からである。「無から有は生まれない」というのはとても本質的だと思う。

そして、最後に――僕のnoteの1枚目(という呼び方をするのか?)にも書いたけれど、個人的に「相反する融和」という表現はジャンルを問わず大好物なので――勿論綺麗に融和してくれないと一噛みして吐き捨てるのだけども――Clean Banditの音楽もまた美味也。どの時代の音楽にも言えることだと思うのだけど、誰にとっても気持ちの良いメロディは“強い”。往々にしてポップミュージックが多くの批判を受けながらも、いつだってチャートの上位にいるのはそういうことだ。聴き手のセンス、知識を問わず、まさしく“大衆”である音楽に関する知恵のない人々の心を掴み、聴き手にセンスや知識を求める音楽を排斥する“強さ”=“パリピに代表されるセンスや知識なく人々を多く集める数の暴力”を誇るのだ。

そういうような、エレクトロダンスミュージック系のトレンド――“踊る”という共通項、ひいては各種の音楽フェスに終着――の外的要因に加えて、聴く人を選ばないキャッチーなメロディに基づいた曲の良さという内的要因が、Clean Banditをデビューから極めて短い時間で世界的なバンドに引き上げた……あ、あと大事な点を忘れていた。そして何より彼らの最大の魅力はグレースのおっぱ(略)エロスもまた人々を寄せ集めるからね。と、もうこのへんにしておこう。

   * * *

ライブそのものは、ニールの代わりにヴァイオリンを弾いていたクリスティーナが素晴らしいマルチタレントっぷりで、ヴァイオリン以外にもキーボード、コーラスまでこなし、八面六臂の活躍だった。グレース、エリザベス、クリスティーナ、それからもう一人のサポートの女の子が4人並び立って歌うところなどは、Little Mixと見紛うくらいの人気アイドルグループ並みのオーラを発していて、背後のジャックとルークがもはやサポート状態。こういう売り出し方をしたとしても、これはこれで売れるんじゃないかと思うくらい。

そういえば彼らのバンド名に、「クラブ寄りのエレクトロにストリングスが混ざってくるあたりに、弦楽器のクラシック感というか敷居の高い匂いを感じてBandit(盗賊)と謳いながらCleanに高貴さを滲ませてるのかな」などと思っていいたのだけれども、その実、以前ロシアに留学していたジャックが、ロシア語で言うところのcomplete bastardを英語に置き換えたとかどうとかという話なので、“清潔な盗賊”よりもむしろ“最悪の犯罪者”みたいなニュアンスの方が正しいのかもしれない。なかなかショッキング。

さてさて、いつも通りライブの内容が希薄な割に長ったらしくなったが、ニールに加わったフルメンバーのClean Banditが観られるのは何年後になることだろう。書きながらすっかり理性を盗まれてしまったが、次作を楽しみにしつつ、次回もまた必ず彼らのライブとグレースの(自粛)を観に行こうと思う。

書き終えて、なんて“complete bastard”なnoteだろう。初見でグレースの紹介のある点に気づいたあなたはすごい。


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