平清盛

もう何年前だろう。大学生の時分に、大河ドラマで「平清盛」がやっていた。視聴率の取れない大河ドラマとして世間ではとやかく言われていたが、歴史系のわが大学では人気の高い大河で、普段は大河ドラマを見ないわたしも、割と見ていた。

その大河ドラマを年末年始に見ることになった。
また見たいね、と以前から話していた大学の後輩と、同じく大学の同期と観賞会が催された。

時間や体力・気力の都合で、飛ばし飛ばしではあったが、通しで見終わったわたしは、奇しくもこのタイミングで平清盛を見ることになった縁に感じ入っていた。

実はここのところ、人生に飽いていた。
というと、おおげさなようだが、ちょっと本当に、生きることに飽き飽きしていた。
どうせこのまま生きていても、わたしにはなんの劇的なドラマもおこらないし、今まで楽しかった思い出を圧倒的に凌駕するような感情ももはや抱くことはないだろう。今までありがたいことに、やりたいことをやらせてもらってきた。やりたいことがもうないわけではない。だが、やるまでは死ねない、というほどの熱量がなかった。
さらに、友人を含め、大好きな人たちが結婚していく。わたしはおそらく結婚もせず、子も生さない。
そしたら、もうわたしの人生って、終わったも同然じゃない?これ以上生き続けるのって、しんどいなぁ。しんどいって思いを抱え続けて生きていくのって、うんざりするなぁ。
そう思っていた。
四半世紀も生きたらじゅうぶんだと、傲慢かつ不遜であることをわかった上で、思っていた。
徳川家康は「人生は重荷を負いて、遠き道を行くがごとし」と言った。まさにその通りだと同意はするものの、わたしはこれ以上荷を背負いたくなく、また道の果てしなさにうんざりしていた。

とはいえ、死にたいわけでもなく、ただ生きていくのをつまらなく感じていた。
そのタイミングで清盛をみたのだ。

弱きもののために自分の命をかける姿を。
親兄弟の絆が引き裂かれる悲哀を。
武士の世を作るために、犠牲を重ねる姿を。
修羅の道を共に歩む覚悟を。
忠と孝のはざまで苦悩する姿を。
あれほどの犠牲を払ったにもかかわらず、ついえた夢を。

まばゆいばかりの命を燃やし切った清盛らの姿をみた。

それでようやくわかった。
人生がつまらないのは、自分のせいだ。
人生に真剣に向き合っていないからだ。

わたしも輝く命を生きたい。
面白い人生を歩みたい。
そのためには、真剣に生きていかなきゃあならないんだ。

「遊びをせんとや 生まれけむ
 戯れせんとや 生まれけむ
 遊ぶ子供の声聞けば
 我が身さえこそ 動(ゆる)がるれ」

物語を通してずっと歌われ続けるこの歌は、1話で清盛の母が歌う。
子供が遊ぶときは、全身全霊、必死になっている。そんな風に、悲しい時も嬉しい時も全力で生きよう、そんな意味に捉えていると言う。

”遊びをせんとや 生まれけむ”
この歌を心に刻んで、これからを生きていく。
その先に面白い人生があるはずだから。

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