十日町の着物づくりその1・概要
十日町市とは
十日町市は新潟県にある山あいの静かな町です。JR長岡駅から車を走らせること 約50分で到着します。
古くから 織物の町として有名でした。最初に麻織物、次いで縮まない「明石縮」の産地としてして名を馳せました。
加えて十日町が着物の一大産地として、更に有名になったのは 太平洋戦争後です。
織り染め いずれにも対応できる、京都に匹敵する大生産地として日本の着物生産の歴史上、大きな役割を果たしました。
この十日町の今はどうなっているのか、また着物の大産地として大きな役割を果たしたその歴史を知るために、昭和きもの愛好会の松前理事長と似内理事はこの地でインタビューと調査を行いました。
なぜ十日町なのか?
十日町の人口は約5万3千人です。日本にある自治体共通の人口が減るという問題を抱えています。また新潟県と聞いて、多くの方は米どころという印象を持たれるでしょうが、十日町市の水田一枚当たりの面積がは新潟市周辺のそれに比べてやや狭いという印象を受けます。
この辺りも織物と農業を兼業で行わざるを得ない原因になったと思われます。実際、十日町織物工業組合でお話を伺いましたが、その際も、春夏は農業、秋冬は織物と、生計の手段を2つに分けていたようですし、一部の事業主や企業については、まだその傾向が残っているようです。
十日町が着物づくりで飛躍的な発展を遂げた理由を、先に述べた麻から絹への織物の歴史に見出す人も多いようですが、現地ではもっと違う意見も聞くことができました。
一貫生産と企業努力
十日町は、織物の生産ももちろん残っていますが、現在は「十日町友禅」という名称で、染にその主力を移しつつあります。京都では分業である染めを、企業の中で一貫して行っています。この方法は昔からのようで、西陣のように、振袖が完成するまで、生地が自転車や車で町中を移動するということはありません。
社内で生産がすべて行われるので、行程の変更や改良も容易です。社会のニーズに迅速に対応できた理由がここにありそうです。
また、京都より東京に近いという地の利を活かして、デパートとのお付き合いも盛んであったようです。青年部の活動も盛んで、2名一組で日本中でマーケティング調査を行った時期もあったということです。
京都よりはるかに「着物製造」という産業に近代的な要素を多くもっていたのが、十日町の躍進の理由であったと思われます。
謝辞:この取材にあたりご協力をいただきました、十日町織物工業協同組合 事務局長 越村伸弥氏にお礼申し上げます。
似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
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