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アートに寄り添う人たち

 目が見えない人の生活はどのようなものなのだろうか。私は得意の(?)妄想力を生かして、イメージを浮かべてみる。

 きっと、白杖を持ったり、盲導犬を連れたりして、街中を歩くことになるのだろう。そういった知識から得られることは何となくイメージが湧くのだが、実際のところ、それ以上の想像は膨らまなかった。

 ましてやアートなんて本当に楽しめるのだろうか。初めてこの著書の存在を知った時に思ったことだ。

 きっかけは某ラジオ番組における作家の高橋源一郎さんの紹介だった。ながら作業で聴いていたので、詳しい内容は憶えていない。それでも、何となくだが興味を持つことになった。

 とはいえ、美術にも視覚障がいにも今までの人生の中でかかわりがほとんどなかった。そんな私が紆余曲折を経て手元に置くことになったのには理由がある。それは美術と視覚障がいの両方に未知であるが故の興味を感じていたからである。

 突然だが、ここでカミングアウトをする。

 私はいわゆる精神障がい者である(「害」の字を用いないのは、子どもの頃の教育の賜物だ)。しっかりと精神障害者保健福祉手帳も取得しているので、美術館なども障害者割引を適用して行くことができる。

 身体と精神では大いに違いがある。先述の通り、どんなに想像力を働かせても気持ちを共有することはできなかった。アートを見に行ってどんな感想を聞くことができるというのだろうか。半信半疑で読み進めていった。

 作中には様々なアート作品が登場する。絵画や彫刻だけでなく仏像やある種のパフォーマンスも作中には現れる。それらに作中の登場人物たちは忖度なくタブーもなく印象を語っていくのだが、その主が美術館勤務の人だったりするから驚きだ。

 その中に全盲の美術鑑賞者である白鳥さんが入っているのだが、彼は作品を他の人がどう感じているのかを聞いて作品を鑑賞しているのだという。すぐには想像しえなかったが、きっと晴眼者には感じることのできないものを感じているのかなと思った。

 順調に読み進めていたが、第9章に現れる「優生思想」という文言に目も手も止まった。ある作品からそういった話になったのだが、障がいを持つ身としては止まらないという選択肢はなかった。

 話としては、「障がい者が健常者に近づく努力のみが認められると世の中が息苦しくなる」という点に収拾していくのだが、いろんな人がいてもいいと思う。健常者も障がい者も努力すること、生産性を高めることだけがすべてではない。

 アートという一見取っつきにくいテーマをイージーな語り口で話し、笑えるエピソードや微笑ましい話の中に深遠なる闇や真実に迫る話を仕掛けてくる。また名著が我が家にやってきたようだ。

 と同時に、目が見えているからこそ、視覚障がい者に寄り添うことができるのだと思った。同じように、精神が健康だからこそ寄り添える精神障がい者もいるのではと希望も膨らんだ。


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