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カール・ラガーフェルドは僕の人生の中でファッションの魅力を教えてくれた人物だった。

今朝起きて毎日のように体重を計る。少しだけ昨日よりも増えていたことになんだか少しだけがっかりした。

8時から「まんぷく」を観ながらふくちゃんがCMに挑戦していた頃、ネットでニュースを見ていたら衝撃的な文字がならんでいた。

訃報カール・ラガーフェルドが死去

一瞬まさかそんなバカなと思ったけれど、画像は細身のジャケットに白シャツ、クロムハーツをつけて真っ白な髪を結いサングラスをかけたいつものラガーフェルドだった。

毎シーズンのパリコレ、毎回1番楽しみにしているのは、なんといってもCHANELのクチュール。

会場に足を運べば、そこはCHANELの世界というより、ラガーフェルドの世界。シグニチャーブランドよりもCHANELの世界はカール・ラガーフェルドで溢れている。

大学生の頃、毎日のように部屋ではラガーフェルドのコンピレーションアルバムを聴いていた。今日は久しぶりラガーフェルドが好きだった音楽を聴いている。

このアルバムを聴きながらパリコレを始めコレクションチェックをするのが好きだった。

大学のボロボロの寮の一室でマニアックなブランドが好きな後輩達とhigh fashionやWWDを読みながら、深夜にファッション通信を観てCHANELのクチュールまだかな、まだかなと。

CHANELというメゾンはラガーフェルドが今現在のブランドイメージを創りあげた。僕が産まれる前からCHANELのデザイナーとして今のCHANELを創り上げた。

サンローランや小池千枝と同期なんだから、亡くなって、思えば生きた伝説だなって。

モードの帝王って言葉はしっくりとくる。

シンプルな生活を始めて大半の洋服は売ったり後輩にあげたりしたけれど、なぜかこのTシャツだけは手放せなかった。

2004年にH &Mとラガーフェルドがコラボしたもの。
当時はまだ高級ブランドのデザイナーとファストファッションのコラボなんて考えられなかった中、そんな先駆けとしてラガーフェルドがデザインしたH &Mは衝撃だった。

まだ2004年にはH &Mは日本になかったから、まだあまりネットインフラが整っていない当時、気合いとしか言いようがないけれど、頑張って購入したことを覚えてる。

そして

これも。
東日本大震災のときに復興TシャツとしてUNIQLOがラガーフェルドにTシャツデザインを頼んだときのもの。

日本でこれを着るのはなんだか恥ずかしかったけれど、来日したイギリス人に渋谷のpubで「ちょーイカスデザインだね!」って言われ仲良くなったのを覚えてる。

ラガーフェルドといえば細身のジャケット白シャツ、クロムハーツに白髪のポニーテール、そしてサングラス。

エディがDior HOMMEのデザイナーをしていた頃、彼の洋服が着たくて40キロのダイエットをしてからはずっと変わらずにこのイメージだ。

ラガーフェルドのことを語り出せばまだまだたくさんあるけれど、ラガーフェルドが好きだから、彼の功績を語るなんてできないし、どこかのサイトを見ればわかる。

僕が好きなデザイナーは段々と若い才能のあるデザイナーと交代していっている。
これもやっぱり歳を重ね、時代は変化しているんだろう。

CHANELのクリエイティブ・ディレクターはヴィルジニー・ヴィアールが就任したと発表された。

30年もラガーフェルドの片腕として彼を見てきたヴィアールならCHANELの、ラガーフェルドのDNAを上手く引き継いでくれるだろうと思う。

今日は久しぶりに酔いたい気分。
お酒を飲みながらラガーフェルドの功績を今一度辿っていきたい。

ああ、やっぱりラガーフェルドが亡くなったなんて信じられない。
これから何を楽しみにコレクションを見ればいいのか、、、

ご冥福をお祈りします。

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