二十歳を迎えて、やっとわかった、スピッツの素晴らしさ

先日、私は地元で成人式を迎えた。数年来会っていない旧友たちの変化ぶりに驚いた。髪、顔、声、性格など、五年前の私の記憶とは異なる彼らの姿を見て、実際に会話し、新鮮な感覚であった。高校、大学と、成人に近づくにつれて、コミュニティが同じ考えや目標を持つ者が多く存在するように洗練されていった。異なる価値観、環境のなかで生きる人々が一堂に会する機会は久しぶりで、いい刺激になった。成人式に行くべきと言われる理由はこの感覚にあるのかもしれない。

ただ、人生というのは、どうも思い通りに進んではくれない、そんな苦悩も味わった二十歳の門出であった。

その翌日、私は大切にしていた女性から別れを告げられた。数年想い続けた末に成就した恋。それがたった一日で崩れ去ってしまうとはかなり予想外で、茫然自失であった。こんな儚く終わってしまうことに、悲しみが止まらない。

帰路で偶然流れた曲が、スピッツの「楓」であった。

名曲中の名曲で、カラオケなどでもよく歌っているのだが、この日は歌詞の一つ一つが私の心をチクリと刺してくるような不快感があった。

思い返すと、歌詞全体が私の今の心情や彼女に対する気持ちを表していたからかもしれない。

「いたずらなやり取りや 心のトゲさえも君が笑えばもう 小さく丸くなっていたこと」

私にとって彼女は嫌なこと、つらいことすべてを吹き飛ばす太陽の存在であったし、だれよりも特別な存在だったのかもしれない。

二番目の「風が吹いて飛ばされそうな軽いタマシイで 他人と同じような幸せを信じていたのに」

私は他人と比較して、交際経験はかなり少なく、かなり不器用な恋愛の仕方をしていると思う。おまけに自他ともに男性としての魅力に欠けているようにみえる、そんな取るに足らない存在なんだと思う。

それでも、この恋が実れば、他の人たちと同じように互いに信頼し、愛し合える、そんな時間がずっと続くはずだと信じていた。

そんな私の儚く、どうしようもない思いを代弁してくれるこの歌を、気が付いたら何回もリピートしていた。

スピッツの唄は、草野マサムネの唄は、歌詞、メロディ、歌声ともに私たちをそっと包み込んでしまうような心地がする。それは、身も心も大人に近づきつつある高校、大学生として生きる人々に特に刺さると考える。

「好き」だとか、「愛してる」とかいう表現を用いず、婉曲表現や彼にしかできない言葉選びで、人々の琴線に触れる歌詞を描く。若干、難解な表現だと感じることもあるが、

歌詞がいかに切なく、退廃的なものだとしても、メロディ自体は優しく寄り添ってくれているような気がする。この不思議な感覚は、他のアーティストでは体感できない。

私は、私の人生に於ける大切な人を失ってしまった気持ちだ。この空虚は誰にも、何にも埋められることができないと感じていたが、少しだけ、草野マサムネが埋めてくれたような気がする。

これから様々な出会いが僕らを待っており、同時にそれと同じ位の別れが存在するのだろう。別れがどんなに辛くて、心残りでも、片隅にしまっておいて、前に進み続けなければならないのだろう。そんな時は、スピッツの数々の名曲が寄り添ってくれるはずだ。

最後にスピッツの「若葉」を紹介して、この記事を終わりとしたい。
出会いと別れが存在する人生において、必ずみんなの活力となる歌だと、確信した。




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