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人に合わせすぎる

人に合わせすぎる。
好きな相手には特に合わせすぎる。
自覚している私の長所でもあり短所でもある部分だ。

約1年前、私は遠距離だった恋人と別れた。というか、向こうに地元の彼女ができてフラれた。
その人とは延べ10年(途中一度別れている)の付き合いで、とにかく気の合う人だと思っていた。
一緒に住んでいた時期も長かったが、ワンルームに二人でいても大きなケンカもなければストレスもなかった。

彼はとあるアーケードゲームが好きで、いつも私にそのゲームの話をしていた。
私はそのゲームは特別好きというほどではなかったが、ルールはわかるし戦術の話も理解しながら興味を持って聞くことができたので、毎日のように聞いていた。
二人で出掛ければ毎回ゲーセンに連れて行かれ、隣でプレイを見させられる。別に嫌と言うほど嫌ではなかったのでそうしていたし、そうしないと嫌われると思っていた

そう、私は
「相手に合わせないと嫌われてしまう」
と思い込んでいる節がある。

どうしてそうなのか考えてみると、自己肯定感の低さに原因があるような気がしている。
可愛いわけでもなければスタイルもよくない、かといって努力する向上心もない。そんな私が誰かと付き合おうと思った時、取る作戦はいつも「相手に合わせること」だった。

飲むのが好きな人なら一緒に飲み、趣味の話を聞き、向こうの好きな映画や音楽を一緒に見たり聴いたりして、年単位の長い時間をかけて友人としての距離を極限まで詰めていった結果、付き合いに至ることがほとんどだった。

幸い、自分とかけ離れた嗜好の人を好きになることはなく、だいたい自分と似たようなタイプを好きになっていたため、自分を殺してまで無理矢理合わせるということはなかった。むしろ、結果的に趣味の範囲が広がってよかったとも思っている。

けれど、そうしていくうち、そしてそれが成功するうちに、怖くなってしまったのだ。
「気が合う(合わせている)から一緒にいてくれるのに、合わなくなってしまったら嫌われてしまうのではないか」と。

そんなわけはない、それだけで付き合ってるわけではなく、他にもいいところがあるから付き合ってくれてるんだろう、と頭では理解していても、怖くて確かめることができなかった。


本当は、隣でただゲーム見てるのは少し退屈だった。
自分の好きな話はするけど、私の話はあまり聞いてもらえないのは寂しかった。


さっき、久しぶりに彼のブログを見たら、相変わらずゲームは続けているらしい。
そして、彼女とも順調なようだった。
彼女はゲームセンターが好きではないのだという。
「ああ、それでよかったんだな」
と、ぼんやりと思った。

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