落語の鑑賞に保険が適用されるかもしれない話

先日、落語を生で聴くする機会があった。

東京や大阪、その他大きな街では常設の寄席があるものの、
片田舎に住む自分としては、生で落語を聴く機会なんぞ、学校行事の芸術鑑賞の一環で仰々しくあるかないかであったり。

そんな中で、毎年地元で落語会をやっていると知ったのは、4年か5年前。
そこから、毎年秋の終わり頃には生で落語を聴くのが恒例行事となっている。

さて、ノートタイトル。
こちらは今年落語を披露した、とある大師匠の枕での言葉。

そもそも、落語を聴きに会場まで来られることが健康であり、
なおかつお客様が、演者が話したことを頭ん中で想像できる力があり、
それで尚且つ笑うことは免疫力を高めるというのも、様々な調査で明らかになっている。
ということで、いつか落語を聴くのにも保険が適用されるかもしれねえ。

という流れだっただろうか。

座って正面にお師匠さんがいて、時折私は目を瞑る。
決して寝ているのではなく、その場面を頭ん中でイメージしているからだ。

店番をする与太郎がいて、店の奥に番頭がいて、そこに客がやってきて、
というのを、人それぞれのイメージで映像化している。
さながら、『脳内「落語・ザ・MOVIE」』のように。

小説というのもそう。
人それぞれに、主人公はこういう女性、もしかすると自分の知ってる人に重ねて読み進めたりする。
そうなると、普段使ってない脳を使ってるなあと実感させられる。

そんなことを思ったりした。
その後に食べた蕎麦も旨かった。

#落語好き #イメージの世界 #落語 #雑感

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