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なぜ ”大手企業からベンチャー企業への「レンタル移籍」” を選んだのか?

こんにちは、翔です。
2020年07月より、大手企業からベンチャー企業に「レンタル移籍」しています。

旭化成に『レンタル移籍』を提供。イントレプレナーシップの醸成をめざす。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000027.000015387.html

まだ始まったばかりですが既にものすごい質・量の刺激を受けています。これから1年間、頑張るぞ!受け入れていただいているチカクの皆さん、どうぞよろしくお願いします。

​「まごチャンネル」を開発・販売するチカクが、旭化成からレンタル移籍の受入開始
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000074.000015422.html

私は大手企業で入社以来13年間ずっと、新事業創出に関わる部署で働いてきました。その私がなぜベンチャー企業へのレンタル移籍という道を選んだのか、についてここに記しておこうと思います。

技術者として事業化を経験できたけど…

キャリアの最初は技術者として研究所に配属されて「世界初の感染症検査キット」の技術開発・製品開発・臨床開発・量産工程開発に関わりました。このプロジェクトはうまくいって事業化するに至ったのですが、市場に出してみると製品の使い勝手が悪くユーザーに敬遠され、高コスト体質のせいで利益が出ず、すぐに競合が出てきてシェアを奪われる。研究所と事業部の間の雰囲気も悪くなり「ああ、自分が開発に関わったこの製品がいろんなことを引き起こしてしまっている」「あれだけ時間と労力をかけてモノを作ったのに、どうしてうまくいかないんだろう…」と悩みました。

「考えるプロセスを考える」ことは大事だけど…

研究所で技術者として働き始めて8年間がすぎた頃、社内で ”新しい事業を作るための、新しい開発手法を作る" ことをミッションに掲げた部署が立ち上がることを知って手を挙げてそこにジョインしました。
そこでは主に今までにない発想でビジネスを生み出すための思考プロセスを身につけ・それを社内に広める活動に取り組んできました。

デザイン思考・システム思考・システムズエンジニアリング・目的工学など様々な考え方に触れながら感じた超重要なことは「開発の初期段階から、事業化してスケールするときのことを考えて開発を進めること。自分たちがつくるビジネスの全体を俯瞰しつつ、部分の開発に取り組むこと」でした。

振り返ってみると研究所にいた頃の自分にはこの考え方は「知ってはいたけど実行できなかった(どうやってやればいいのかを知らなかった)」。それは研究所の他のメンバーも同じだったと思います。開発の初期段階からビジネスとしてどういう姿をデザインするのかを考えないと、「とっても立派なんだけど誰も欲しいと思わないもの」が出来上がってしまう。これって、その仕事に関わった人みんなの努力が無駄になってしまうよね。
特に研究・開発に関わる人間にこの「全体俯瞰しながら部分をみる」言い換えると「木を見て、森もみる」ことの重要性を知ってもらい、かつ、具体的にそれをどうやってやったらいいかを体験を通じて獲得してもらうことが ”新しい事業を作る” のに役立つと考えて、これを社内に広めることに取り組んできました。

社内の様々な部署から色んなパターンで相談を受け、いただいた問いに対して「どのように考えたらその課題が解けるか?」と考えて思考プロセスをデザインし、社内・時には社外からも協力者を集めてワークショップを実施することを2年ほどやってきました。

それなりに手応えもあったのですが、ワークショップの回数を経るにつれて「なんとなく新しい発想は出るんだけど、その後の実行に結び付けられない」ケースが増えてきて行き詰まってきました。自由に発想することは本当に自由なんだけど、その後の実行フェーズに移す時に行き詰まる。そこは自分自身に経験がなくて「口ばっかりになっている」ことに段々と嫌気がさしてきました。「やったこともないくせに偉そうに口だけ出している自分を感じてしまっている」のような感じです。

実地で経験を積みたい。それも社内ではなく。

現場で経験を積みたいと思い始めたのですが、今の会社の中で自分がどうしても行きたいと思える部署やテーマが見つからない…。かといって転職するのもなんかちょっと違う…。うーん……

と、また悶々とし始めた頃、「大企業からベンチャー企業へのレンタル移籍」という仕組みを事業にしているローンディールという会社があることを知りました。

まさにこれだ!と感じました。大手企業にいながらベンチャー企業の事業開発のやり方に触れられる。言い方に語弊があるかもしれませんが「守られた状態で挑戦ができる、失うものは何もない」、スター状態を作れると思ったのです。それが2019年(昨年)の9月頃でした。

そこからは上司と人事とローンディールとを引き合わせて慎重に話を進め、”全社的な取り組みとしてではなく、私のいる部署の取り組みとしてまずは進める” ことにし、第一号として私自身をレンタル移籍させてもらうことにしました。

その後しばらく時間が空いて、2020年2月頃から具体的な ”移籍先” を探すことになったのですが直後にCOVID-19の影響が発生。一時は社内で「この状況でレンタル移籍を実行するの?」という議論にもなりましたが「むしろ、社会構造が変化するこの時だからこそ、普段とは異なる環境に身を置いて経験を積むべき」という上司の超ナイスサポートがあり、私自身も前向きに移籍先を探すことができました。

そして今お世話になっているのが株式会社チカクです。
ここで新事業開発に取り組みます。移籍元である大企業と、ベンチャー企業であるチカクとの違いを肌で感じながら、チカクの成長にフルコミットで頑張ります!













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