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【特別寄稿】なかにし礼今明かされる裕次郎&ひばりとの絆

昭和歌謡の黄金期を作詩家としてけん引した、
なかにし礼が旅立っておよそ1年(令和2年12月23日逝去)。なかにしが残した歌は、今も多くの人に歌い継がれている。
 
なかにし礼は言う。
「自分が良いと思ってヒットしなかった歌はない」
「作詩は、ヒラメキが大切」
「歌謡曲は、万葉集から連なる文学である」と。

  レコード大賞3回の栄光!

その輝かしい足跡は日本レコード大賞で垣間見ることが出来る。シャンソンの訳詞家として活躍した後、歌謡曲の作詩家に転身。昭和42年に作詩賞を
受賞したのを皮切りに、昭和43年、黛ジュンの
「天使の誘惑」で初めて大賞を受賞。
昭和45年、菅原洋一が歌った「今日でお別れ」で
2度目の受賞。昭和57年には、細川たかしの
「北酒場」で、3度目の受賞。
その他、歌唱賞や新人賞に多くの歌手を導いた。
流行り廃りの激しい歌謡界で、
なかにしの存在は揺るぎないものであった。

 満州、そして伊豆での出会い・・・

 では、なかにし礼の詩の原点はどこにあったのか。ひとつは生まれ育った満州での体験。裕福な生活は戦争で一変。戦火で多くの命が失われた光景は脳裏に焼き付き、後に名作を生み出した。
もうひとつは、伊豆の旅先で偶然出会った
石原裕次郎の存在。歌謡曲の作詩をすることになったのも、その出会いがきっかけであった。
さらに美空ひばり、阿久悠との関係とは…。
今回、稀代のヒットメーカー、作詩家・なかにし礼の一周忌にあたり、
その世界をTBSの貴重映像で紹介して行く。

BS-TBS「なかにし礼ヒット全集 
一周忌追悼・名曲誕生秘話」
 

1月14日(金) よる9時の放送をお楽しみに!

放送作家 遠藤まもる
 

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