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もう「応援したい応援団」はいらない〜必要なのはバッターボックスに立つ勇気

地域でのプロジェクトやっていると、何か「プラットフォームをつくりたい」だの「自分は主体になれないけど応援していきたい」みたいなタイプの人が続々と出てくるんですよね。ものすごくいるんです。応援したい人。

もちろん反対より応援はあったほうがいいんですが、全員が応援団になってしまったら、もう終わりなんですよね。

マウンドに誰もたっていなくて、観客席から「がんばれー」っていっている応援団しかいないお寒い試合なんて困ったものなのです! 何か自己啓発的に「地域にいいことをしたい」だけど「何をやっていいかわからないし、自分でできることとかないから、応援したい」ということだけで、主体者になるという人がいないということは、結局誰も挑戦しないということなんですよね。。。

昔から話をきいていると「応援したいんです」みたいな人がいるのですが、結局それって自己満足というか、自己啓発なんですよね。何かやらなきゃならないけど、怖いから誰かを助けている自分というものに満足したり、刺激的な取り組みに関わっていることが自己啓発になると思っていたりするわけです。

だけど、そんなんでは本当の意味で挑戦者にとっての応援なんかにならないのです。

○ 主体者にならない「応援したい人」たち

何か応援者といえば聞こえはいいですが、主体者になった時に応援者というのは具体的にじゃなにをやっていくれるのか、と言われると結構難しいんです。資金を出してくれたり、業務を共にサポートしてくれたりとかを計画的かつしっかりとやってくれればいいわけですが、現実にはそうでもないんですね。

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