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言語化を制するものがAIディレクションを制す

「もっと抜け感があった方がいいよね」「ちょっとワークあった方が良くない?」「もう少しグッとくるモノない?」

広告制作に携わる人であれば、一度は聞いたことがあるようなフレーズではないでしょうか。自分でもよく言います。笑

これらディレクションは画像生成においては一切通じません。
一つ、例を出してみます。

お弁当にのっている「魚のフライ」を想像してみてください。


・・・


想像できましたか?

では

お弁当にある「魚のフライ」を生成してみましょう。

・・・

はい、お弁当にある「魚のフライ」です。

間違ってない。

イメージと違いませんか?

正解は「魚の切り身のフライ」なんです。

再生成しました。

このように、AIで想像通りの画像を生成するためには、言語化の「精度」が必要です。

「青空」を生成するとしても、季節、気候帯、時刻、色味、雲の量、アングル、カメラの高さ、レンズ、国など無限に要素があります。

思い通りのものを生成するためには、その要素をなるべく具体的に言語化する必要があります。

逆に言うと、きちんと言語化しなければ、頭に描いたものはいつまで経っても生成されないということです。

「人」であれば、相手の言わんとしていることを慮ることができますし、長年タッグを組んできた人や業界の経験が長い人であれば、なおさら共通のイメージがもてるでしょう。しかしAIはこちらの曖昧な指示を慮ってはくれません。

「人の頭の中にあるイメージをヒアリングして、自分の頭の中で想像し、それを元に言語化して生成する」そんな職業が登場するかもしれません。イメージビジュアライザーとでも言いましょうか。実際に似たようなことをやっていますが。

将来は?

いずれはAI化すると思います。実際に今でもやろうと思えばパーソナライズやカスタマイズはできますし。まだニッチすぎて開発コストも高い割に精度はプロフェッショナルクラスでは耐えられないので、もう少し先になると思います。

でも、もうChatGPTとか行間も読めるから、クリエイティブの世界もそうなっていくんだろうなぁ。フーつらい。

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