主語がデカいという指摘のキモさ、あるいは表現の価値について

主語デカいって言う奴はきもい

例えば、「男は家事が苦手だ」これは男が一般的にそうである蓋然性が高いという主張だと容易に汲み取れる。主語デカ指摘厨はさっきの主張を「全ての男性は常に家事が苦手である」と解釈してしまうってこと?もしそうなら頭が悪すぎないか。
ところで、男は〇〇と一括りにするな、範囲を限定して主張しろという意見に対してある程度の妥当性は認める。しかし、修飾され散らかした主張に人は凄みや厚みを感じない。上述の「男は家事が苦手だ」を主語デカ指摘回避文に書き換えると、「私が今までで出会った男性のうち、大部分の男性は私の個人的な判断によるものであるが、家事が苦手」と変換できる。このような主張は事なかれ主義的な人間による唾棄すべきつまらない主張だと多くの人は判断するのではないだろうか。吹けば飛ぶような厚みのない主張は塵屑同然である。
主張により人の心を動かすためには誇張や断言を用いたある種の扇状的な文句が非常に有効だ。近年の環境活動家によるプロパガンダはその最たる例である。
主語デカ指摘厨は言論における表現の意味を全く理解していない。

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