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【2025年7月5日】日本に降りかかる大災難の真意とは!?

 近年2025年に関連する予言が乱立しています。果たして本当に何か起こるのでしょうか?

 不気味なのは、どの予言にも日本が関連していること。

 今回は4つの予言に焦点を当て2025年に日本に起こること、そしてなぜ日本が名指しされているのかを考察していきます。

予言者が口を揃えて警鐘を鳴らす2025年

今回の記事で挙げる4つの予言

◯作家たつき諒の予知夢
◯哲学者ルドルフ・シュタイナーの予言
◯超能力者ベラ・コチェフスカによる予言
◯ブンジュ村の口伝

予言①「私が見た未来」作家たつき諒のみた夢

たつき諒先生を有名にした予知夢

 この本が脚光を浴びたきっかけが、表紙にある「大災害は2011年3月」というイラスト。漫画本の締切日に、たまたま表紙に空いたーコマになにを入れるかを考えていたところ、休憩中にこんな夢を見ました。

 映画のスクリーンに「大災害は2011年3月」というワードがぶわっと浮き上がるイメージだったそうです。

 たつき先生はこれを書かなくてはならないという強い使命を感じ、最後の一コマに追加しました。その12年後、2011年3月11日、東日本大震災が発生します。

夢で見た2025年に起こる出来事とは

  2021年に再出版された「私が見た未来完全版」に掲載された予知夢。本人が出版打ち合わせ日の朝に夢を見ます。

 それは1999年に見た夢と同様、映画のスクリーンに「大災難は2025年7月」と表示される光景でした。

 その夢によると、大災難の発生日時は「2025年7月5日」4時18分か16時18分というピンポイント。

 フィリピン沖の海底が突然「ボコンっ」と破裂し、東日本大震災の3倍規模の津波が発生。

私が見た未来より引用

 その衝撃で台湾、香港、フィリピンが地続きになってしまうように見えた。

 これを作者は、3.11では事前に注目されていなかったせいで沢山の人がなくなってしまったと感じ、脚光を浴びている今だからこそ、事前に回避できるようメッセージとして、完全版に掲載しました。

 しかしたつき諒先生は、この災害を乗り越えることで、地球全体の全ての人々が明るく、活き活きと暮らしている未来が見える。そして人々が心から繋がり合い、助け合う世界が来ると、言及しています。

予言②哲学者ルドルフ・シュタイナー

 ルドルフ・シュタイナー 1861-1925(64歳没)は、「科学的・神秘体験を通じて精神世界を研究する」ことを目的とした「人智学」を確立したことで有名です。

 目に見えるもの、物質的なものだけでなく、時間、宇宙と人間との関係、生まれる前や死後の世界など「目に見えない世界」をもふくむ包括的なものであると提唱しました。

日本の人口が1/3まで減り2025年には日本がなくなっている

 シュタイナーはアカシックレコードにアクセスできたとされる哲学者・教育者です。

 予言者としても、数々の予言を的中させてきた記録が残っており彼の予言の中にも、やはり2025年にあることを予言しています。

 2025年に日本の人口が1/3まで減らされるとした、人口削減計画が実行されると予言しています。その結果、日本という国は消滅しているだろうというものです。

 人口削減計画といえば、2020年に発生したパンデミック以降、ウイルスやワクチンが人口を減らす目的だったのではないかという説が都市伝説界隈を賑わしています。

 現在の世界の状況は彼の予言に似てきているようにも思えます。

 また、日本が無くなる、というのは捉え方次第で様々な解釈ができますが、人口削減というワードから国土自体がなくなるという訳ではではなさそうです。

 もしその削減計画が本当だったとしても、日本人が1/3まで減るぐらいの計画であれば、他国もその影響は免れないと思うのです。

 なぜ日本が名指しなのか?という点から考察すると、この予言は、日本人という血筋や、日本的な思想が消滅するといった精神面または見えない部分への言及なのかもしれません。

③超能力者ベラ・コチェフスカの予言

日本の伝統的精神が滅ぶ

 ベラ・コチェフスカは、現代のノストラダムスと言われた最高予言者「ババ・ヴァンガ」が唯一認めた超能力者です。過去未来を透視する能力だけでなく、難病を治す能力を兼ね備えているようです。

 以下は、そんな彼女が日本に来日した際に行った予言です。(※一部抜粋)

 日本は『地球のヘソ』のようなもの。宇宙からのエネルギーを一番ストレートに受ける特別な聖地です。

 日本は高次の神霊がたくさん存在する国であり、世界の人を精神を結びつける要となる場所に位置しています。

 しかし、悲しいことに現代は日本人の心が滅びゆく時代です。伝統的な精神性が消えようとしています。

 彼女の言葉は、日本人の精神が消えることが世界にとっての試練、ということ示唆しています。

予言④ タンザニア、ブンジュ村に伝わる古代日本に関する口伝

 日本から遠く離れたアフリカの小さな村に、かつての日本人の精神を受け継いでいた人々がいた。

 この村の人々が、みな生きる喜びや幸せに溢れた生活を送っていることを、一人の日本人は目の当たりにします。

 幸せに包まれて生活ができているのは…「日本人から学んだ感性」を持っているから。

 そして村の長から衝撃の話を聞かされることになります。それは日本人の感性が、唯一世界を救うということ。

世界を救うのは日本の伝統的な精神性

 タンザニアのブンジュ村では日本人が本来持っていた精神・感覚が、シャーマンによって代々口伝として語り継がれており、ブンジュ村に住んでいる人々は、その教えを守った生活を送っています。

 村にたまたま訪れることになったペンキ画家のショーゲン氏は、村に住む人々がみな生きる喜びや幸せに溢れた生活を送っていることを、目の当たりにします。

 村の人々は口々にこう言います。幸せに包まれて生活ができているのは…日本人から学んだ感性のおかげだと。

 そしてショーゲン氏は村の長からこのような話を聞くことになります。この数年のうちに日本人が持っていた感性が、世界を救うことになる。今居る1億人の日本人にその感性を思い出させて欲しい。

 そのリミットが2025年7月5日だと。

 ここでも2025年7月5日。こんな偶然はあるでしょうか?

ブンジュ村の予言

 ブンジュ村の長は、2025年7月5日が日本にとって大きな転換期になる。その後は物理的な豊かさが限界を迎え、心の時代が来る。と言います。

 噂されている予言とは違い、ブンジュ村の予言では破滅的な恐ろしいことは起こらないようです。

 また、この日をさかいに、権力や地位、お金だけで生きていた人々が生きにくい世の中になり、血がつながってなくとも心で繋がり合い、みんなで生きていく世の中になる。

 その時、日本人はかつての本来の日本人が持っていた感性を取り戻しておかなければならない。と言います。


日本語の特殊性

 ブンジュ村の長は日本人の特殊能力についても言及しています。

 曰く「虫の音がメロディとして聞こえる稀有な能力を持つ」

 セミや鈴虫、コオロギ、蛙の鳴き声って日本の風物詩ですよね。これらの昆虫の鳴き声で季節の巡りを感じることができる、日本人にとって一つの音楽だと思います。

 しかし海外の人々はこれらの虫の音が騒音に聞こえるそうです。京都にある年中鈴虫が鳴いている「鈴虫」は海外では「騒音寺」と呼ばれているそうです。


 唯一虫の音がメロディに聞こえる能力を持っている日本人。

 これはもともと日本人が自然と共生していた頃の名残であって、古代の日本人は人と話すのと同じように、植物に、水に、土に、石にも話しかけていたのだそうです。

 そして、この世界が滅亡するときは、『日本人が虫の音が聞こえなくなったとき』だ。と言います。

交錯する4つの予言

 以上に挙げた4つの予言のポイントをまとめてみましょう。

 一つ目は、日本の伝統的な『精神性』の消滅を示唆していること。

 二つ目は、2025年に起きる出来事をきっかけに日本や世界にとって明るく、希望に満ちた世界が待っていると言及していること。

 三つ目は心や精神性が大切になる時代が来る。ということ。

 もし東日本大震災のような天災や戦争であれば、数ヵ月~数年はそのような希望は持てないでしょう。

 ということは2025年7月に起こる出来事とは、物理的な事象ではなく、見えない変化によって引き起こされるのかもしれません。これをどのように考察したら良いのでしょうか?

僕が考える2025年の日本に起こること

 以下の推察は、このような未来を扇動するようなものではありません。今回挙げた4つの予言と、この2025年7月問題について集約した一つのフィクションとしてお考え下さい。

引き金は自然災害

 引き金は、ある自然災害なのだと思います。四つの予言に共通する「日本」がという表現からして、災害の影響範囲は全国に渡るものと思われるため、南海トラフ地震ではないと推測します。

 おそらく規模は日本国家が機能不全になり、海外からの支援が必要になるレベルの災害。個人的に可能性が高く感じるのは、大規模な太陽フレア磁気嵐による電子機器の被害です。

 運が悪く日本がその被害を真正面から受けることになります。

 太陽フレアによる磁気嵐は、あらゆる電子機器の破損、電子システムの停止、障害を引き起こします。特に強烈なのがインフラシステムの停止です。

 電気が止まることで、水道、ガス、インターネットなどライフライン、また交通、通信機能やシステムも停止し大混乱となることが予測されます。

 とにかく現代社会の要といってもいい電気。これが半年以上使えなくなると予想します。

 過去に2019年の台風15号の被害で、千葉県で広域停電が発生しました。この時は完全復旧までに19日間を要しましたが、2025年は全国を悪います。

ミクロ視点(短期的)での被害リスク

 個人視点から見た太陽フレアの被害を見ていきましょう。

 まず被害直後は、物流だけでなくすべてのインフラシステムが停止します。状況が落ち着き、自衛隊や海外支援などが実感できるまでに6~12ヵ月程度かかるのではと考えます。

 目先、僕たちが奔走することは毎日の食料確保と燃料確保になるでしょう。

 発電、送電システム復旧にも『電力』が必要であるために、復旧の目途が立たないまま時間だけが過ぎていく事態になります。

 僕たちの身の回りの電子機器においても故障が多発しているため、たとえ送電が復旧したとしても、受信側が元に戻るまでには相当な時間が必要になります。

 また被害を受けた7月、8月は冷房設備が必須な夏場を迎えます。人々は涼しい場所や、自動車のエアコンで凌ごうとしますがガソリン供給が停止している状況では限界があります。

 毎日、熱中症患者が続出し、その影響で医療崩壊が発生、民間病院の閉鎖が相次ぎ、通信インフラの停止によって119番通報ができないなどの影響で死者が多発する状況に陥ります。

 冷蔵設備が足らず、食料品が腐り、ゴミの回収や処理も行政システムが停止することで公衆衛生が悪化し、街中に腐敗臭がまん延します。

 もう一つ、重大な対応をしなければならないのが原発の制御です。僕たちは2011年に原発の電源喪失の恐ろしさを目の当たりにしました。

 太陽フレア被害で全国の原発が同時に電源喪失し、冷却システムが停止したとします。非常用発電機があったとしても、電気計装機器自体が故障してしまった場合意味を成しません

 総務省の資料を見る限り、原発の電気計装機器への太陽フレアの影響は限定的であるとの見解ですが、被害が無いわけではなく、常に最悪の想定をしていないと、あの福島原発以上の被害は免れないのではないかと思います。

この災害で僕たち個人の生活は一変する

 僅か数週間で、僕たちの日常は激変してしまいます。

 夜は電気がないため真っ暗です。テレビ、インターネット、通信手段がなくなることで、今までSNS上でしか繋がりのなかった知人は連絡を取る手段がなくなります。

 各個人が毎日、その日生き抜くことだけを考え過ごすでしょう。一人では命を落とすかもしれません。

 毎日電気に依存して生活している皆さん、電気がなくなる生活って想像できますか?

 僕たちの生活はデジタルに依存し過ぎたあまり、電気がなくなるとほぼすべての日常生活が通常通り出来なくなります。

 これは電気のなかった100年以上前の日本に戻ることを意味します。

②マクロ視点(長期的)での被害リスク

 次に国、世界の視点からこの災害による影響を見てみます。

 この太陽フレアの被害は、日本を中心に広範囲の国々にも及びます。特に日本に近い中国をはじめとするアジア諸国や北半球に面している欧米も同様に大規模な被害を受けると思われます。

ロックダウンの比にならない世界停止が起こる

 コロナおよびウクライナショックにおいても、世界的な物流が止まり、日本への輸入が制限されたことは記憶に新しいかと思います。

 この太陽フレア被害によって各国は、一時的に自国内の復旧に追われることになり、国同士の連携が難しくなります

 穀物やエネルギー資源の輸出大国は、輸出量を制限することで国内の有事に対応しようとします。

 コロナのロックダウンは、人の移動制限から発生したものですが、太陽フレアの被害では、物理的な移動が出来なくなるために、自給率を確保している大国は、自主的に鎖国に近い政策を取る可能性があります。

 ここで日本が目の当たりにするのは、自分たちが生きていくためのエネルギー、食糧の大半を海外からの輸入に頼っていたことの愚かさです。

 2023年現在、日本の食糧自給率は37%、エネルギー自給率は11%しかありません。

 もし、このような有事で輸入がストップした場合、単純に6割の日本人が食糧難になり、9割の日本人がガソリンや灯油、ガスといった燃料を使えなくなるという事です。

災害による日本国家の弱体化

 国家のシステムが機能しなくなり、日本の防衛システムや、金融システムにも多大な影響を受けることになります。気にかかるのは、台湾有事を巡っての中国とアメリカの動向です。

 2025年、台湾有事はいつ起きてもおかしくないほどの緊張状態を迎えています。中国から見て日本にある米軍基地は目の上のたんこぶです。

 太平洋へと進出したいと目論む中国としては、日本列島はとても重要な拠点になります。

 中国は支援という名目で日本を内部から侵略、アメリカは自国を守るために日本国土の防衛を。太陽フレアの被害により国家として弱体化してしまった日本をめぐって、米中を巻き込む戦争になるのか。

 シュタイナーの日本がなくなるという予言は、日本が、中国もしくはアメリカに取り込まれてしまう事を意味しているのかもしれません。

この災害を生き残るには

 皆さんの普段の情報取得源はなんでしょうか?テレビ、ラジオ、インターネット、電話といったデジタルツールがほぼ100%ではないかと思います。

 電気と電子機器がほぼ消失してしまった世界では、生きるための知識をグーグル検索して調べることはできません

 たとえば「火起こし方」、「水浄化の仕方」、など、その状況になったら必要な知識にアクセスする術がかなり限られてしまいます。

ブンジュ村の口伝

 ここでブンジュ村の口伝を思い出してください。

『血がつながってなくとも、心で繋がり合い、みんなで生きていく世の中になる』
→僕たちが生き残るには、人々が協力し、各自が持つ知識を寄り合わせていく必要があります。

 お金を払えばやってくれるという他力ではなく、自分の頭で考え、知識と知識を組み合わせて新しい情報を生み出す力が必要になります。

『この期を境に、権力や地位、お金だけで生きていた人々が、生きにくくなる世の中になる』
→権力や地位、お金に価値がなくなり、人々が持つ、共感力や知識、知恵が新たな価値になります。

 『その時までに、日本人はかつての日本人が持っていた感性を取り戻さなければならない』
→この災害をきっかけに僕たちは、電気に依存した文明からの脱却を図ることになります。

 天然資源を利用した動カシステム、江戸時代以前の文化にあった自己完結型の循環する仕組みを取り入れた社会へと変わることを、ブンジュ村の長は予言しているのかも知れません。

 この災害をきっかけに自然や今まで当たり前にあったものがもたらす恵みの本当の有難さに気づき感謝することで、日本人が忘れていた感性、争いがなかった平和な縄文的な精神を思い出すことになります。

 以上が個人的に考察した2025年7月に起こる日本の未来です。

 そして、次に記すのがこの予言に隠された『本当のメッセージ』だと考えます。

予言に隠された日本人へのメッセージ

日本人の弱体化と日本国家の行方

 未曽有の大災害の中だとしても、この国は僕たち日本人のものだ。という強い想いがなければ、考察したとおり他国に吸収されてしまう可能性もあります。

 今の日本人は批判しかしない人たち、不満ばかりで行動しない人たち、行き過ぎた相互監視、責任や法律の雁字搦めに疲弊し、何もできない民族になっているように感じます。

 SNSで人との繋がりが薄れてしまった日本は、このような大災害をきっかけに、いとも簡単に分断してしまうほど薄氷の上に築かれた国家になっているかもしれません。

 いずれにしてもこの苦境を乗り越えるには、僕たちは日本人として一つの『一枚岩』になることがとても重要になります。

 老若男女問わずお互い協力し合い生き抜いていく力。それは日本人が本来持っていた島国特有の『結束力』ではないでしょうか。

日本消滅の真の意味

 古来の日本は性善説で成り立っていました。日本人は礼儀を重んじ、相手を思いやる力があったからです。古来の日本人は、『有る』ことに目を向けていた民族でした。

 呼吸ができる、ご飯が食べられる、歩くことができる、話すことができるといった日常における肯定感です。

 だから自然や虫との会話ができていた。それだけ心が満たされていた余裕を持った民族だったのです。

 それは1万年以上、争いのなかった縄文という時代が証明しています。

 一方で、海外のほとんどの国は性悪説を採用しています。日本は近年の急速なグローバル化によって、世界に同調せざるを得ない状況に陥り、日本社会と日本人を変えてしまいました。


 先に紹介したルドルフシュタイナーが存命していた1800年代後半から1900年代初頭は、日本にとっても大きな転換期を迎えた時期です。

 それが鎖国から開国、そして近代化です。これらの出来事は江戸時代以前に持っていた日本人の感性や思想を大きく変えるきっかけになりました。

 シュタイナーはこの日本人の感性の変化を予言していたのでしょうか。


 その結果、現在の日本社会は、行き過ぎた相互監視、性悪説に片寄った法律や条例によって悪い部分にしか目がいかなくなる世の中にしてしまいました。

 現代の日本人は、本音と建前という『二律背反』に陥っているように感じます。

 矛盾に苦しみ、相手に親切にしたいという本来の想いはあるものの、現代に疲弊した心が満たされていない状態がそれを許さないのです。だから無関心、思考停止をしてしまい前に進めない。

 ブンジュ村の教えでは、自分のコップを満たして溢れた分を相手のために使わないと、自分が枯渇しトラブルが生じると言います。今は自分を愛して満たしてあげる事が大事だと。

 従って、今の僕たちは『無い』が基準となり、「無い」部分にしか目がいかず、相手の欠点とか、不満とかしか出てこない。負のスパイラルに陥っているのが現代の日本人なんだよ。ということ。

日本人が持っていた祈りの力

 そして相手を推し量る力、『想像力』が一つの日本人の力でした。

 想像力は、「時間距離」です。現代人はSNSの発達によって時間と距離が近くなり、相手を想う時間が減り、想像力が欠如し始めていると実感しています。

 なぜ?という疑問に対して、すぐに答えを求める時代。一歩立ち止まって、自分の内面に問いかけてみる時間が現代には少なすぎるのだと思います。

 『有る』という事は、当たり前すぎて気づかないのです。『想像力』を働かせないと

 これらの精神が本当に無くなってしまったとき、僕たちは日本人でなくなります。

 そして、その精神(縄文スピリット)こそが、現在のグローバル社会において、もっとも必要とされる力であり、日本人にしか取り戻すことのできない大事な感性だと。

 僕たち日本人は、そんな大先輩たちの血を引いた存在だという、プライドと尊厳、想像力と結束力を取り戻すために行動していくべきなのかもしれません。

この予言を広げた理由は何か?(メタ的考察)

日本人に思考・想像させ行動を促すためのもの

 これらの予言が2025年に起きるか起きないかは、実は関係ありません

 通常予言というものは、絶望的な内容になりがちですが、この2025年の予言は少し違っています。

 どうやったらこの難題を乗り越えていけるのか、という『思考へ誘導するため』に、2025年7月以降は、希望に満ちた世の中になる。というヒントが含まれています。

 そして、それぞれ断片的な予言を、『日本人』『2025年7月』という身近なワードで繋げることで、『僕たちが自分ごととしてとらえるように仕組まれている』ように感じます。

 これらの予言は、YouTubeやX(旧Twitter)などのSNSで広く拡散され、たくさんの日本人の目にも入っているはずです。

 この問題について、真剣に多くの人が自分ごととして『想像』し意見を持つことがとても重要なのだと思います。

 誰が、なぜこのようなメッセージを予言という形で世に送り出したのか?という裏の本質を考えることで、今僕たち日本人が置かれている状況を把握し、気づいて行動に移していくことが大切なのだと思います。

なぜこのような回りくどい手法を使うのか?

 しかしながら、なぜこんなにわかりにくいメッセージなのか?

 まったく知らない誰かが代表として、日本への危機を真正面から一生懸命に伝えたとしても、今の日本人の一般大衆はこのようなスピリチュアル的な考えを否定し嘲笑する傾向にあります

 そしてこの問題は、誰かから「こうしなさい」とか「こうあるべき」という命令的な手法では解決しません。『日本人が自分たちで気づかなければ意味が無い』のです。

 従ってこのメッセージの拡散も、日本人自身が、自ら取り上げ考察し、意見を出し合う環境が必要でした。そこで一種のエンタメに成り下がった予言と、日本人にとって毒であるSNSを逆手に取りました。

 そう、日本人に自分ごととして考えさせるには、SNS、YouTubeなど自分と立場が近いユーチューバー達に説明させるほうが拡散力、説得力があり効果的なのです。

 最初はエンタメとして、しかし拡散されていくにつれて、多くの意見の中から、少しずつ本質を見抜く人が現れます

 その意見が『神格化』されれば日本人の意識はオセロのように簡単にひっくり返ると思うのです。そこに賭けたのではないでしょうか。

 これは集合的無意識(共感能力)が強い日本人には最も効率が良い手法だと思います。

相互愛

 これらの予言を考察するうえで、僕たちが準備できることは何か?これらの困難を乗り越えることに必要なことは助け合い、協力、結束です。

 そのカギは、僕たち日本人がかつて行っていたとされる自愛、自分を愛し満たすことで相手を愛するという『相互愛に満ちた日本人を目覚めさせること』です。

 なぜ相互愛が必要なのでしょうか?

世界を救う唯一の力

 今後数年から十数年で僕たちはAIとの共生という課題を突き付けられます。僕たちが地球と共生していくために必要なことは『相互愛』です。

 前回の記事でも考察しましたが、人類の生存本能は上位の存在である地球の生命維持活動に内包されていることで相互愛となり『正のスパイラル』に入ります。

 従ってAIと人類の関係も同じく、人類の生命維持活動に内包される必要があります。そこにも相互愛が必須となります。

 縄文時代の日本人はその力を持っていた。故に現代の日本人にしかその力を取り戻すことができないため、ブンジュ村の人々は日本に託したのです。

 僕たち人類は戦争、環境破壊という過ちを繰り返してきました。しかし日本人は、過去に1万年以上も争いのなかった時代を作り、自然と共生することができた唯一の民族といっても過言ではありません。

 人が人を愛することができないのに、AI、地球を愛するなど夢のまた夢だということを、ブンジュ村の長は、物理的な豊かさが限界を迎えると表したのだと思います。

 以上の考察がおおむね正しいとするならば、2025年7月に大災害、大災難など、起きない。でしょう。

 しかしながらその時、僕らを取り巻く状況は、この予言に隠されたメッセージをどう捉え行動したかによって大きな差が生まれているのは言うまでもありません。

「なんだ、何も起きなかったじゃないか。やっぱり予言なんて当てにならない。」
「何も起きなくて良かったね!」

 と、考えている人々が大半だったとしたら、まったくもって的外れであり、取り残されていく人間に分類されるかもしませんよ。

この記事の答え合わせは2025年7月5日に。

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