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事件を起こす前の死刑囚に睨まれたかもしれない話の続き

この記事は、「事件を起こす前の死刑囚に睨まれたかもしれない話」の続きだ。

前の記事では、うちの息子が幼かった頃に街で遊んでいたら、若者にものすごい怨念を感じさせる視線で睨まれて、それが後々、近所で死刑判決が下された凄惨な事件の犯人だったかもしれなかったこと、そして、犯人がその事件を起こした遠因には、親からの愛情不足が考えられて、私はその点について強く共感できてしまうのだということを書いた。

長年、私の脳裏からはあのときに私たち母子を睨みつけてきた若者の視線がこびりついてはなれなかった。そして、自分が犯人の心情に共感できてしまうということを何かの形で表現できないかとずっと考えていた。

そうしたら、いつ頃か忘れたが、今年の5月に公開した「【小説】それでも時間は流れて空はどこまでも続いている」で描いた事件の場面が浮かんできた。

まずは事件の場面が浮かび、そこに絡んでいくその他の登場人物たちの様子が広がっていった。でも、話が壮大過ぎて自分では書ききれないだろう。頭の中にあっても、実際のものにはなかなかできなかった。

2月からnoteはじめて、ここは創作プラットフォームだということで、4月終わりからはとにかくエッセイを毎日書いてみようと、挑戦を始めた。

思いもかけず、4月に家族が一時的にせよ家からいなくなり、一人暮らしになってしまったことで時間的な余裕ができた。今なら、ずっと頭にあった小説の構想を形にできるのではないかと思った。

事件を起こす前の死刑囚に睨まれたかもしれない話」で書いた、あの時、楽しそうに遊ぶ私たち母子の様子を見て、とてつもない寂しさや怒りに襲われていただろう犯人の感情を表現してみたかった。

そして、そこに巻き込まれていく人たちの苦しみや悲しみをなんとかして描けないかと考えた。そして書き始めたら、思いの外、スラスラと文章が生まれていき、最後まで書き上げることができた。

でも、この物語は本当は、もっと悲惨な結末にするつもりだったけど、気がついたら大団円な感動的な物語で終わっていた。

これはこれでいいけど、本当に書きたかった犯人の心情って違うんじゃない?

実はこの小説では、犯人が事件を起こすに至る動機の部分がどうしても作れなかった。それで、どこにでもありそうな動機をもってきてしまった。

それはそれで書きやすくなったけど、実際に私たち母子を睨みつけてきた若者の心情とは違うものになってしまった、というのが大きな反省点だった。

それで考えていたら思いついたのが「【小説】闇はもっと黒く深化させるべきものか?」だ。

この物語は、できる限り、事件を起こす犯人の視点に立てる限り立って書いてみた。「事件を起こす前の死刑囚に睨まれたかもしれない話」で書いた、自分が感じていた、親の愛情不足や無理解からくる社会への反発心というものを、主人公の心情に乗せて綴ってみた。

自分自身が犯罪まで犯したいと考えたことがなかったから、どこまで「死刑になりたい」といって事件を起こす犯人の心のうちに迫れたかわからない。

でも、自分で表現できるだけの心情は表現できたかなと思う。

ただこちらも、悲劇的な結末にするつもりだったのに、感動的な話になってしまった。

悲劇的な結末に向かって書いているうちに、気が滅入ってしまい、書き続けるのが嫌になってしまったら、違う結末を思いついてしまった。

ChatGPT様に悲劇的な結末と、感動的な結末のどちらがいいか相談したら、ハイブリッドを提案された。悲劇が起きる予兆を示しつつ、感動的な方向に持っていく。

ということで、ChatGPT様の提案を採用させていただいたら、自分ではかなり満足できるものに仕上がった。でも、この物語の結末のようなことは現実では起こり得ないだろうと思う。

ある意味でこの小説の結末は理想すぎるかもしれないとは思いつつ、ちょっと他の人の間違いに厳しすぎる日本にあって、こんな風に重大事件の犯人が許されて成長できる世界線もあったら、世の中はもっと平和で暮らしやすいものになるかもしれない。

たまたま、「note創作大賞2024」の募集時期だったから、どちらの小説も応募してみることにした。でも、小説部門に該当するカテゴリーがない。カテゴライズするなら、どちらも社会派小説か心理小説ではないかと思う。

あえて言えば、「【小説】それでも時間は流れて空はどこまでも続いている」はミステリーか?「【小説】闇はもっと黒く深化させるべきものか?」はミステリーかホラーか?

でも、どっちも殺人事件は起こしているけど謎解きはしていない。ミステリーじゃないだろう。どちらの小説も、犯人は、世間にうまく適合できずに、変なコンプレックスと孤独感を感じ続けてきた私の分身だ。ホラーを選んでしまったら、自分自身の存在がホラーになってしまう。それはいくらなんでも悲しい。(息子がこのことを知れば「お母さんなんてホラーでいいじゃん」って平気で言いそうだけど笑笑)

ということで、小説部門ではなく、違うだろうな、と思いつつ、オールカテゴリ部門で応募した。該当する部門がないということは、私の作品にはそもそもの需要はないということの表れなんだろうけど、ほんの少しの些細な問題提起ができて、社会全体で本気で、未来にこのような犯罪を起こさないために必要なことについて考えてもらえるきっかけになれば幸いだと思う。


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