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人は皆、森の中にいる。

生きてる限り、出られることのない

深く暗い森。


地球は丸くなってる。どこかに歩けば、
どこかにたどり着く。ここではない何処かに
行けば、ここではないどこかの自分がいる。
自分からは逃げられない。その本質からは
変わることができない。だから、属す。
日本人、人間、男、女、家族。何かに属される。
だってその方が、安心できるから。その方が
孤独じゃないから。自分の人生を歩くのは、
自分だけだとわかってるのに。属されたから
といって必ず幸せになれるとは限らないけど。
どんな人間にも平等に朝日は登り
どんな人間にも平等に死が訪れる
終われることは、始まれる事と同じくらい
必然的であると思う。

ただ、ここではないどこかの自分も、
何かに属している自分も、平等に朝日が
訪れた朝も、平等に訪れた死の瞬間も、
そのどの瞬間も必ず幸せだとは限らない。
「ずっと痛い」より「痛くない」を
選ぶのと同じように「不幸」より「幸せ」
を人は追い求める。しかし、不幸や痛みに
耐えるより幸せを求めたり痛みを消すことは
遥かに難しい。だから、森に入る。
幸せや満足は、不幸や不安の森の中にしか
無い。不安や不幸の森の中にしかないのは、
幸せや満足というものが、その森の中に
いないと見つけ出すことができないからだ。
光の中で光は探せない。暗く深い森だから
こそ、幸せや満足を見つけることができる。
俸給的に与えられるものではない。
自分で探し、見つけ、感じなければいけない
美しければ幸せか
努力が実れば幸せか
お金が余るほどあれば幸せか
それは人それぞれだが、みんな森の中で探す
光のあたる場所を。そして見つけた後は
そこで少し光にあたり、また次の光を
見つけるための充電にする。
え?同じ光を浴び続ければいいって?
森の木が伸びれば、その光はまた木で
覆われる。永遠なんて、無いのだ。
最後は、森から抜けて光の下に躍り出る
森で光を探せていた事自体が、幸せだったと
思える終わりが来ると信じたい。
森を抜け出した場所が、どんな場所だったとしても。

だから迷う
だから間違う
だから苦しむ。

思う存分に、苦しみ、探し、見つけるのだ

私だけの、強烈な光を。


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