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国立西洋美術館の常設展(2024.4)

美術館を訪問する場合、企画展目当てがほとんどであまり常設展にはいかないひとも多かろう。企画展に行くとたいがいそのチケットは常設展の分も含まれ、実質無料で見れるのに。時間切れや企画展でお腹いっぱいになだちゃうんだよね。

もっとも東京の公立美術館は単なる展示場で、独自コレクションを保有している所は多くない。東京都美術館しかり国立新美術館しかり。そんな中、国立西洋美術館はもともとが個人の松方コレクションを元にしたところ。たまに常設展に寄るとそほ内容の充実度に圧倒される。新コレクションも定期的に加わっている。そしてだいたいのものが撮影可能。これを逃すのは実にもったいない。もっと行かなきゃね。

国立西洋美術館といえばこれも興味深いドキュメンタリーだった。記事にしてないけど。Primeとかでみれるようになったらまたまとめよう。


今回(4月の終わり)ここに来たのは

特集「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」

を見るためだった。チケット売り場でこの企画展のチケットが見当たらず、確認すると常設展の中に含まれていた。

ゴヤのマジカルな油絵や版画はたまに見かけていた。

陶板だけど大塚美術館とか

熊本での邂逅とか

今回まとめて展示されるのは〈戦争の惨禍〉と題された作品集で(なぜか)未発表とされたアウトテイク作品も含めて全作品が一度に公開されるのはレアなこと(初めて?)らしい。たぶん撮影もOKだったと思うのだが、内容があまりにグロで撮る気にならなかった。

首吊りに首チョンパに足やら腕やらもちょん切られる戦争の狂気。「黒い絵」にあった魔女とかのマジカルな雰囲気に近いところもあるが、ここにあるのはファンタジーではなく「現実の世界」だ。

従軍記者でもないゴヤがその場にいたのかはわからないし、伝聞で描いたものもあっただろう。思い込みやデフォルメもあるのかもしれない。それでも現実に行われていた情景だろう。

こんな映画もあるし。ゴヤよりもナタリー・ポートマンの壊れっぷりが強く印象に残る。


逃げるように会場を後にして他の常設展を回る。

なんかおもしろい取り組みがあった。

田中功起 美術館へのプロポーザル1:「作品を展示する位置を車椅子/子ども目線にする」

なるほど。これまで思ってもみなかった。実際いくつかの作品は低い位置に展示されていた。

そういやこんな本もあったね。目が不自由でも絵画鑑賞を楽しめるって。

この作品(?)は何枚か新聞記事みたいなのが続くのだけどこれ何語だかググってもわからん。それっぽく見える造語なのかな。

続いて相変わらず艶めかしいマイヨールの女性像。

アリスティード・マイヨール《ヴィーナスのトルソ》1925年

こんな写真撮ってたら #いいからケツ見せろ なんてタグがTwitterのタイムラインに出てきた。投稿してないのに拾われちゃうのか?

《花の冠》1889年

マイヨールって絵も描いてたんだ。そういえば目を悪くして彫刻に行ったとかいう経歴だったっけ。

ポール・セザンヌ《散歩》1871年

おどろおどろしい人物画。キャプションによるとセザンヌは初期の自作を「クイヤルド(Couillarde)=でかい睾丸」と呼んだそうな。なんだそりゃ?自虐なのかな。イギリス人はなにかと Rubbish=ゴミ と吐き捨てるけどそんなノリだろうか。ただCouillardeをGoogle翻訳掛けても「クイヤルド」としか出てこない。造語?

さらにピカソが二作。

パブロ・ピカソ《女性の胸像》1942年

これはシュールっぽいかな。ハンマーみたいな頭になってる。ハンマーと髪の毛との山の上での偶然の出会い?

パブロ・ピカソ《小さな丸帽子を被って座る女性》1942年

同じ年の作品。ドラ・マールと交際のあった時期で、やはり彼女がモデルと言われる「泣く女」(1937年)よりも後なのか。福笑いみたいだけどキュビスムっぽさはだいぶおとなしめになってる。手の大きな人だったのかな。いや、ピカソは手を大きく描く傾向があったかも。



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