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マティス 自由なフォルム(国立新美術館)

美術館前は ツツジの花が一面に咲いていてきれいだった


昨年行われたマティス展に引き続き開催された。なんでマティスづいてるんだろね? 生誕なんねんとかでもなさそうだが。

今回は後期マティスの切り絵とか宗教画を中心に。

前半 NG 後半 OK とのこと

前半は初期作品が多かったかな。作風もかなり変遷があった。最初期の作品は、まったく伝統的な手法。それはいいけどうーんちっともうまくないしおもしろくない。モロー先生に指導される前かな?

この辺から撮影OKになる。もう後期の作品だ。

《アンフォラを持つ女》1953年

日本の名人芸のように一枚の紙をBGMに合わせてちゃんちゃかちゃんちゃか切っていくものではなく(そりゃそうだ)、何枚かを張り合わせていく手法だったのね。

ちなみにアンフォラというのは、「女」が持ってる(頭の上にのせてる?)「壺」のこと。ワインを作る時に使うものらしい。

寄って見るとただの白い紙ではなく、薄っすら模様みたいなものが見える。キャンバスが裏写りしているわけではないと思うのだけど。ちょっと特別な紙を使っていたのかも。

《葦の中の浴女》1952年

パスカルの「人間は考える葦である」を引いてるのかな。

《花と果実》(1952~1953年)

後のスーパーマーケットLIFEのマークである


私がマティスでいちばん好きなのは2012年の「大エルミタージュ美術館展」 で見た《赤い部屋(赤のハーモニー)》

絵葉書より

前のブログでこんなことを書いている。

アンリ・マティス 《赤い部屋(赤のハーモニー)》 1908年

 正直、ここまでルネサンスから近代まで数々の珍しいコレクションが一気に閲覧できてなかなか勉強になったよとは思いつつ、胸ぐらつかまれるような強烈なものはなかったかな、という平均点よりちょっと上の企画展と評価していた。

 ところがこのマティスにはやられてしまった。最初は通りすぎるところだった。子どもが描いたような女性、乱暴な窓枠とそこから見える桜(?)の庭。そもそもほとんどのものがちゃんと描かれていない。へんなとこに半端にあるデカすぎる椅子。鹿の角はたまた備長炭のような濃紺の枝模様が脈絡もなく画面に絡む。しかも 180cm×220cm の大作である。なんだこれは?

 しかし、じっと見つめていて何かがパチンと私の頭の中で弾けた。絵の中のすべての色が共鳴しだし、まさにハーモニーを醸し出し始めた。緑と赤の補色の背景に果物やフラスコ瓶の明色がネオンサインのように輝き、くすんだ枝模様と枯れた花のバスケットが踊りだしリズムを刻む。

 マティスは晩年(体力的な事情かららしいが)「ジャズ」という切り絵の連作を作り続ける。単純な形と配色の妙だけでこれだけセンス良い物が出来るのかと、私はどれも気に入っていた。それと同じことがこの一見デタラメな絵の中で起きていたのだ。マティスの魔術は一貫していたのだね。

https://shousanokioku.seesaa.net/article/201204article_16.html

そうなのよ。あの一見手抜きも甚だしい模様みたいな切り絵もじっくり見るとすごい深みがあるとパチンとハマった時のカタルシス。

だから(今回の展示でも一部あったが残念ながら撮影NG)「ジャズ」みたいなのはおもしろくかっこいいなと思うのに、今日展示されているLIFEのマークや(このあと出てくる)海の昆布みたいなのはなんだかあんまりピンとこなかった。

何が違うのか。「赤のハーモニー」にはこうした後期の到達点の萌芽を見たからこそ感動できたのに。そのうちまたカチッとハマる時か訪れるのかもしれない。

最後はロザリオ礼拝堂用の作品が続く。

エヴァンゲリオンにしか見えなくなってしまった
ロザリオ礼拝堂用に試作したステンドグラスだとか

こんぶというより「大入袋」にしか見えなくなってきた。


そして

《ロザリオ礼拝堂》再現
よくこんなもの作ったよね
現地の本物と同じく日差しが時間と共に動いていく様子が再現されている



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