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『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本(板橋区立美術館)

いま「シュールだね」といえば「なんか変なの」「キモい」くらいの意味、しかも半笑いが入るみたいなやや侮蔑的形容詞になっている気もするシュールレアリスム。日本に紹介された当初は、かなりの衝撃を持って迎えられたようだ。

それを目の当たりにした当時の日本人画家たちは「これが世界の最先端ゲージツか! 我々も遅れを取らないようにこれこらはシュールで行こう!」と模倣作を量産したのだろう(しらんけど)。そんな予見で期待せずに見に行った。


ほんとだよ、けっこう歩いた

地方美術館で全然知らない画家の作品を見て「あ、こんなひといたんだ、いいじゃん」と思うことは多いのだけど、今回は残念ながらあまり目に留まる作品はなかったかな。

どこかダリっぽかったり、エルンストっぽかったり、マグリットっぽかったり…。既視感ありあり。

ダリは絵の中に自分だけの別宇宙作っちゃったけど、そこまでの没入感真剣さを感じさせる作品はなかったかな。

東郷青児さんと古賀春江さん

そんな中でも東郷青児さんと古賀春江さんはひとつ頭抜けてた(なんと上から目線な感想)にしても古賀春江さんってオトコだったのかw これが今日の大発見。

東郷青児
《超現実派の散歩》1929年
ほっそい三日月追いかけて、マッチ箱みたいな家に足を掛け、宙に浮かぶ変な人。全身白タイツというか石膏で出来た人みたい。左手に黒い手袋、右足に黒いブーツ?しか着けず、まっちろい顔は能面にも見えるかな。浮遊感が心地よい。

左下の折れ曲がったパイプはなんだろ?暖房器具? 意味のわからないオブジェを描き込むのがシュール?

東郷青児さんの作品はSOMPO美術館でいつも見かけていた。シュールレアリストのイメージはなかったね。

私のイメージはともかく御本人はシュールレアリスム呼ばわりされるのを歓迎していなかったようだ。シュールだねと言われるのはやはりあまり愉快な気持ちにはなれなかったようで現在の使われ方を早くも予見していたのだろう違いますか。

そういえば片手だけに黒い手袋するのはマイケル・ジャクソンがやってたな。これがルーツかたぶん違う。

前の日に撮った三日月と桜の写真と被るないっしょにするな?


古賀春江
《鳥籠》1929年
大正時代の広告モデルみたいな女性が鳥籠に入れられてる。幕の内弁当みたいに小物が周りに配置される。

あちこちにある丸いオブジェはなんだろか? エルンストを意識してる? 歯車とか工業化の象徴っぽいが。これも意味のわからないオブジェを描き込むのがシュール?

🏥🔪🧵🪡⚙🦇🌂

シュールレアリスムをあらわす有名な一節「解剖台上のミシンとこうもり傘の偶然の出会い(のように美しい)」
これはつまり組み合わせはなんだっていいんだ、まったく異次元の組み合わせがまたなにか新しい価値を生み出す。ナンセンスというよりオートマティズム―人の意図を超えた―偶然に任せた世界の表出に美を見出すということかな。

キリスト教徒西洋人なら、すべては神の手に委ねる、日本人なら自然のままに…と解釈が大きく変わるかもしれない。

個人的にシュールレアリスムといって頭に最初に浮かぶのはサルバドール・ダリ。オートマティズムもやっていたかもしれないが、あの溶けた時計とかフロイトの夢解釈みたいな深層心理をビジュアル化した、そしてそれらが絵の中に確かにそこにあるように感じさせるまでのハイテクニックが誰にも真似できない彼の偉業。

そうしたダリ独特のデザインやハプニング的なオートマティズムも仕掛け人がいて多分にマーケティング(売れ線)意図が実はあったのだなということは去年の諸橋美術館で感じたこと。


訪問したのが土曜の昼間ということもあろうが、いや会期終了前だからか、かなり混んでたな。

この後三重に巡回するようだ。

板橋区立美術館今昔

この板橋区立美術館。初めて来たのが2008年。16年前の記事もすぐ出てくる。ブログ書いててよかったと思うことだ。

公園の様子はほとんど変わらん。ただ見慣れぬ鳥がいた。

Google先生によれば「う」だな。鵜飼の鵜。

池に魚が浮いていたが手を出さないのを見ると死んだ魚は食べないのね。

ところで美術館の窓がかわっている?

ここで書いた「バードストライク事件」が頻繁に起きていて改築したんだろうか。

美術館の中はすっかり変わっちゃってた。探したけどデュシャンの小便器はなくなっていた。どこ行っちゃったんだろ?

これがいちばんデュシャンのに似てるな

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