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デ・キリコ展(東京都美術館)

10年ぶりの回顧展? パナソニック美術館で行ったやつがそうなのか。

いつものおバカ鑑賞記だけどけっこう詳しく書いてるな。

デ・キリコ作品はアーティゾンにも1枚あるのか。見たことあったかな。

あれから10年。新しい発見はあるのだろうか。

金曜夜の東京都美術館はかなり空いていた。

デ・キリコは、ひと目見て「わー!きれい!」とか、逆に醜悪で見るものを不快にするような絵はあまり描かなかった。つまり人の感情に訴えかけるタイプではない。有名な割に日本ではそれほど人気はないかもしれない。

ダリのように超現実的な夢の世界を描くでもなく、幾何学的なものは多いがエッシャーのように不可能構図もだまし絵っぽいのも基本描かなかった。

描いたのは、不思議だけどあくまで現実的な古代の建築物や定規やマネキン(お菓子もあったな)。よくいえば地に足のついたもの。悪くいえば派手さがない。

自ら「形而上絵画」と称していたように、線の画家でも色の画家でもなく、アイディアの(イデア)の画家といえる。考えるための哲学絵画? ややもすれば退屈極まりない(よりによってただの椅子なんか描くなよww)。

定規や積み木のような建物、目鼻のないマネキンは、もしかしてセザンヌの「自然はすべてマルサンカクシカク◯△□で表すことができる(そんな言い方はしてないが)」から来ているのか。

マネキンってつまりは抽象化された人体だ。古典的な造形物を描くのは普段から目にしている形の裏にある本質を考えさせるため? それがメタフィジカルな世界観なのか?

形而上学(けいじじょうがく、英:  metaphysics)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟で認識しようとする学問ないし哲学の一分野。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超越したものについて考える。対する用語は唯物論。

Wikipedia

わけわからんww。

英語の方がやさしい解説に見える(上の英訳でもないし英語版Wikiの文章でもない。ググって下書きに載せてそのまま寝かせておいたので、時間が経ってなにから引っ張ったんだかわかんなくなっちゃった…。AIの回答だったかな??)

Metaphysics:
the branch of philosophy that deals with the first principles of things, including abstract concepts such as being, knowing, identity, time, and space.
"they would regard the question of the initial conditions for the universe as belonging to the realm of metaphysics or religion"
abstract theory with no basis in reality.
"the very subject of milk pricing involves one in a wonderland of accounting practice and a metaphysics all its own”

途中、油絵なのにパステルを使ったかのような素朴かつこってりな色使いの作品があった。スペインコスプレの自画像とか。
《闘牛士の衣装をまとった自画像》1941年
《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》1959年

そういえば後期ルノアールがこんな色調だったなんて思ってたら、途中「デ・キリコはルノアールも参考にした」みたいなキャプションの注釈を見た。多少なりとも意識していたようだ。

しかしクールで無味乾燥な画風のデ・キリコがあのネッチョリしたルノアールも好きで真似たというのは面白いもんだね。彼の中でどう繋がるんだろう?

あ、そういえば自分の嫁さんのこってりヌード描いてたな。

《横たわって水浴する女(アルクメネの休息)》1932年
浜辺で寝そべって蠱惑なお尻をこちらに向けた古典的なオダリスク絵。自分の嫁さんのヌードを描く画家はけっこういるが描かれる奥様も見せられる鑑賞者も(実際の知り合いならなおさら)微妙な空気になるんじゃないだろうか。

ジョルジョ・デ・キリコ
《通りの神秘と憂愁》1914年

私の中ではデ・キリコといえばこれなんだけど(教科書にも載ってたし)、最近はあんまり引用されない気がする。どこが持ってんのかなと思ったら個人蔵みたいね。もちろん今回の企画展には来ていない。会場の解説で言及されてもいない(見落としてる?)。もしかしてデ・キリコの中でなかったことにしたい作品なのかな。わかりやすすぎる?

20世紀の画家らしくピカソのように時期によってデ・キリコの画風はけっこう変わっている。でも同時代の画家たちと違いキュビスムや抽象画の方向には行かなかった。

いや、抽象化はしているのか。その形状はそのままに、対象物の奥というか裏というかにある本質を見るのが形而上(象徴とはまた違う気がする)。つまりけいじょうからけいじじょう…おあとがよろしいようで。

無理やりなアナロジーだが、同時代の文学で言えばジェイムス・ジョイスが『ユリシーズ』(1920年)で行ったのは、超前衛的な文学表現技巧をそのままの形では根無し草なのでギリシア神話で骨格を与えた、なんて解釈がある。デ・キリコやピカソが前衛から古典に回帰したのもこれと同じことなのか。

デ・キリコの歩みは対象の思念的な抽象化、さらに進んで戯画化になった。最後はポップアートに近くなっている。確かにもうマンガっぽいんだよね。《戦闘(剣闘士)》1928-29年という作品は、その剣闘士たちの顔がヘタウマというか変な顔々w。

部屋の中でボートは漕げないぞw
《オデュッセウスの帰還》1968年(下の写真中央) これもマンガっぽい

晩年の作にはアンディ・ウォーホルっぽいなと感じる作品も多々あり、それもそのはず、なんでもウォーホルはデ・キリコを高く評価していたそうで、ウォーホルの方がパクってたみたい。

そういえばウォーホルも市販のスープの缶とかすでにあるものを使って何かを暗示するような作品だったっけ。

謎は尽きない。とらえどころのない画家だとつくづく思ったのでありました。

館内にあった「フォトスポット」

このマネキンさんがとびだす絵本になってた。


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