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救急車で病院へ運ばれるものの

吐気はその後も続いた。
私が吐き続けているのを見かねたひとりが「急性アルコール中毒だろう」と言って救急車を呼んでくれた。
私の記憶はここからあまりない。
救急車が到着し、担架で救急車に乗せられるもののたらい回しの結果少し遠い病院へ運ばれたらしかった。


救急車には幹事の女性が付き添ってくれたらしい。

病院に運ばれ血液検査のみをされ、何を根拠とした診断なのかはわからないが急性アルコール中毒と診断されアルコールを抜く処置をされたようだった。

2018年にこの病院へ行き、カルテ開示を要求したので、この時の状況・病院で何をされたのか・この時の医師の氏名等はわかったので、血液検査のみということは間違いない。

付き添ってくれた幹事の女性は、私が急性アルコール中毒になるほどお酒を飲んでいないことを訴えてくれたらしいが、この時の若い女医はまるでとりあわなかったらしい。




気が付くと私は移動式のベッドで仰向けになっていた。

見上げた先には幹事の女性の代わりに母がいた。

どうやら幹事の女性が母に連絡をしてくれたらしかった。

その時の私の目にはベージュ色のような天井だか壁だかが見えていたが、視界はぼんやりとしていたのでそのベージュ色のようなものが何なのかはわからなかった。

なので、母の存在はその声でわかったのだった。

私はこの時も身体の左側を動かすことは出来ず、強い吐気で喋ることは出来なかった。

母からすれば、いい歳をして急性アルコール中毒で病院に運ばれて周りに迷惑をかける娘が恥ずかしくてたまらなかったのだろう。

母は怒っていた。

母の怒る声が聞こえた。

でも私は急性アルコール中毒ではなく異常事態であることを本能的に感じていて「助けてほしい」というその一心で母に「ちがう」と言いたかった。


大声で「ちがう!」と言いたかった。


私が感じている「異常事態」を誰かに訴えたかった。


でも私の「ちがう!」は声に出来なかったから、どこにも、誰にも、伝えられなかった。


それくらいこの時の吐気はひどかった。




そして、吐気が落ち着くでもなく身体を動かせるようになるでもなく私の症状は何ら改善することのないまま、「アルコールを抜く処置をしたから帰っていいですよ」と医者から言われた。

しかし、吐気は治まっておらず、身体も動かせないので、「帰っていい」と言われてもどうしようもなかった。

どうしようもないから帰ろうにも帰れず帰ろうとしない私を、看護師が見かねて車椅子に乗せガーッとタクシー乗り場まで連れて行き無理やりタクシーに私を放り込んだ。

まるで「早く出ていけ」と言わんばかりのそんな対応だった。

無理やりタクシーに乗せられた私と一緒に母もタクシーに乗り、自宅まで帰った。

タクシーが家の前に停まっても、身体を動かすことが出来ないわけだから当然タクシーを降りて家の中に入るということが出来ない。

なので、タクシーの運転手さんと母の2人掛かりで私を支えながらなんとか家の中に入ることが出来た。



つづき

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