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ピンとこない「脳梗塞」と明らかにおかしい身体

気が付けば私の腕には点滴の針が刺さっていた。
とりあえず今日明日退院出来るわけではなさそうなことくらいはわかったので、母に連絡してほしいところを喋られないながらもなんとか全て伝え、私は「とりあえず救われた」ことにホッとした。



この時、連絡をしてほしいところを母に伝えていた私は妙にハッキリしっかりしていたらしい。

後日、連絡を受けた人からも「よくその状況で連絡することに頭がまわったなぁと感心したよ」と言われた。

母も「あの時のあんたはすごかった」と今でも言う。

私はこの時ハッキリしていたかどうかは自分では覚えていないのだが、母に伝えて気持ちがホッとしたことは覚えている。

「これで安心して、ベッドで横になっていい状況になった」と思ったのだ。



このとき、私は「脳梗塞」がどんなものなのかも理解出来てはおらず、すぐに良くなるのだろうくらいに思っていた。

脳梗塞のことをまるで知らない私は軽く考えていた。もっと言うと、私は自分の身体がどうなったのかもわかっていなかった。

とにかく吐気が治まってほしい。

ただそれだけだった。





こうして急性期病院での入院生活が始まった。

いっときは、吐気が一番の問題だった。

吐気が完全に治まるまで、常に呼吸を整えて落ち着かせなければまた吐気に襲われる気がしていた。

とにかく相当に吐気がきつかったから、その吐気が襲ってくることがなによりも怖かった。

その後、吐気が完全に治まるまでは、落ち着いているかと思えば突然襲ってきてまた落ち着いたかと思えばまた襲ってきて、というのを繰り返していた。

繰り返しながらも、徐々に徐々に、吐気は減っていき、落ち着いていき、そして治まった。

吐気が落ち着いた頃、身体をベッドから起こそうとすると身体を動かすことが出来なかった。

左半身がまるで岩のように重くてその重い身体を持ち上げることが出来なかった。

そして、いっとき目を開けることは出来なかった。

目を開けると目が回り吐気がするからだ。視界がぐる~っと回りだすのだ。

なので、お医者さんからMRIの結果を説明してもらった時は目をほぼ閉じてとりあえず頷くだけだったのでMRIの画像をしっかり見ることは出来なかった。

MRIの画像を見ることが出来るようになったのは随分後になってからだった。

後になって確認したそのMRIの画像では左の小脳のところが白くなっていた。




吐気が割と治まってきたのは倒れて8日後の2014年4月5日土曜日だった。

目は開けられるようになり、口をしっかりと開けて喋ることが出来るようになった。

全く動けなかったのが、少しずつ動けるようになった。

しかし、「普通に動く」と思っていた腕は普通に動かすことは出来なかった。

身体を動かせなかった間、私は「動かせないだけだ」と思っていたので、動かせるようになれば「普通に動く」と思っていた。

だから、「動かせない状態」から「動かせる状態」になればそこからはあとは順調に回復するのだろうと思っていた。

「動かせない状態」から「動かせるけど普通に動かせない状態」になるなんて1ミリたりとも思っていなかった。

「普通に動かせない状態」を知ったこの時の私はかなりのショックを受けた。

腕を動かそうとした時に左腕が肩のあたりからグラグラ揺れた。

「勝手に揺れてる」

そんな感覚だった。

私の左腕は自分の意思とは関係なく勝手に揺れていた。肩からなので大きく揺れているような感覚だった。





左の小脳の脳梗塞によって私の左半身は運動失調症になった。

運動失調症というのは、動かすことは出来るもののその動作のコントロールが出来なくなるというものだ。




つづき

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