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お久しぶりのバーチャル坐禅会

こんにちは!お坊さんです。3か月ぶりにバーチャル坐禅会を行いました。
サボっててすいません。。


久しぶりなので、初心に戻って「坐禅」についてお話させていただきました。

なんでするの?

仏教も宗教の一つです。

なんで宗教があるかというと簡単に言ってしまえば、いろいろとしんどいからです。そして、そのしんどいコトの中には自分の力ではどうしようもないものもあります。

世の中にはいろいろな宗教がありますが、なんで宗教があるかというと「自分の力ではどうしようもないしんどさ」をどうにかするためにあります。

仏教はその「しんどさ」は自分自身の心が作り出していると説きます。
ですので、しんどさをどうにかするには自分の心をどうにかしないといけません。

でも心をどうにかするって難しくないですか?
自分自身の心でもなかなか厄介で、冷静にさせようとしても上手くコントロールできないと思います。

それで始まったのが坐禅や瞑想になります。坐禅や瞑想ってお釈迦さまがいた2500年前にもありました。

心と体はつながっています。心を冷静にするのはどうやったらいいのかわからないと思いますが、体を冷静にするのは比較的簡単だと思います。
動かずにじっとしていたらいいだけなので、

泥水もそっと置いておくと、泥が沈んで水が透明になります。
まずは体を調えて、そして呼吸も調える。そしたら自然と心も調うというものです。

日本の禅

日本には大きく分けて2つの禅のグループがあります。
臨済宗と曹洞宗です。両方とも坐禅はしますが、やり方がちょっと違います。

臨済宗

臨済宗は公案というものを使って坐禅をします。公案とは師からもらった問題みたいなものです。

例えば「両手で手をたたくと音がするが、片手だとどんな音がするのか?」といった問題です。

もらった公案を坐禅しながら、考えて、答えが分かったら師匠の所にいきます。

しかし、こういった公案も言葉の絶対矛盾している問題なので、答えは論理的にでるはずがありません。

しかし、修行僧たちは答えのでない問題に対して向き合い答えを出し続けます。

曹洞宗

もう一つの宗派は曹洞宗です。私は曹洞宗のお坊さんです。

曹洞宗の特徴は只管打坐と現状公案です。

只管打坐はただ座るという意味です。曹洞宗の坐禅は公案を使わないですし、坐禅中に何かをするわけではありません。

ただ、姿勢を調えて、呼吸も調えて座り続けます。
座り続けていき、雑念などの心の働きと向き合い、気づいていきます。

また現状公案は、今のありのままのこの姿が公案として完成しているという意味です。

分かりにくいので曹洞宗を開いた道元禅師の『正法眼蔵』の一部を紹介させていただきます。

仏教を学ぶということは、自己をみつめることです。(なので坐禅します。)

そして自己を忘れるというのは、自分自身へのとらわれを無くすことです。

万法とは「すべてのもの」という意味です。自分とそれ以外の境界がなくなる。自分自身が世界と一体になっているという意味です。

つまり、私たちは自然のままにすでに完成しているという意味です。

坐禅中はただ座る時間を過ごしていただきました。

坐禅をしている時は坐禅をする。
食事をしている時は食事をする。
寝るときは寝る。

といったように、今のありのままの状態に向き合い受け入れていくことです。

ご参加ありがとうございました。
来月からはサボらずに月に一回はバーチャル坐禅会をやっていこうと思います。あと、朝の坐禅会も再開していきたいです。

ご参加して頂いた方ありがとうございました。
ぜひ、またお待ちしております。


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