障害について考える 障害ってそもそも何?
はじめまして。しょーなりと申します。
福祉をもっとわかりやすくをテーマに
ブログ フクシのフ(https://sho-nari.com/)で障害福祉関係の制度やサービスをわかりやすく発信しています。
noteではブログでは書ききれない自分の考えなどを書いていけたらと思います。
今回は「障害について」です。
障害のイメージ
皆さんは「障害」についてどんなイメージをお持ちでしょうか?
いきなり聞かれてもわからないですよね。
僕も福祉関係の大学に行ったり、福祉の仕事をするまで障害について考えたことはありませんでした。
もちろん、学校に特別支援学級があったり車椅子の方を見かけたりすることはありましたが、あくまで存在として知っているだけのことで自分が関係することではない。
つまり、僕の世界の中に「障害」という認識が無かったんです。
身近にいる障害者
大学在学中に、社会福祉士の実習で障害児入所施設に行きました。
知的・発達に障害がある方ときちんと向かい合ったのはその時が初めてでした。
「障害」というものを認識した後は、僕がいる社会には様々な「障害」があることに気づきます。
そして福祉の仕事をする中で、「障害」についての認識が変わってきました。
ある家族の話
あるところにお父さん、お母さん、子どもの3人家族がいました。
その子どもは発達に障害があります。
数字にこだわりがあり、日めくりカレンダーを毎日めくらずにはいられません。
都会のマンションに住んでいましたが、同じマンションの友達の家に日めくりカレンダーがあることを知り、毎日めくりたくて朝早く友達の家に訪問してしまいます。
カレンダーをめくらないと納得せず、いくら注意しても止められないので両親も、友達の家族も困っていました。
そんなとき、お父さんの仕事の関係で引っ越すことになりました。
引越し先は人口の少ない過疎化が進む街でした。
家族はその街で一軒家を借り、住み始めました。
隣の家に挨拶に行くと、身寄りが近くにいないおばあちゃんが住む家でした。
おばあちゃんは引っ越してきた家族を暖かく迎い入れてくれました。
挨拶のときに、おばあちゃんの家に日めくりカレンダーがあることに気づいた子どもは次の日の朝早く、おばあちゃんの家に行って日めくりカレンダーをめくってしまいました。
両親は慌てておばあちゃんの家に謝罪に行きました。
謝罪を受けたおばあちゃんはこう答えました。
「私も年だから、毎日日めくりカレンダーをめくることも面倒なこともある。だから子どもが来てくれて助かるし、朝から元気な子どもが家に来てくれたら私も元気をわけてもらえる。また来てくれるかな?」
それから子どもは毎朝おばあちゃんの家に行き、日めくりカレンダーをめくりました。
その行為は、おばあちゃんに元気を分けるだけでなく、子どもを迎えに来た両親がおばあちゃんと会うことで、自然と生活や健康に異常がないかチェックする機会になりました。
※このお話はフィクションです。
「障害」はどこにある?
ある家族の話を考えてみましょう。
子どもの発達障害も、行動も何も変わっていません。
変わったのは、住んでいる場所と訪問する場所です。
都会では、勝手に家に上がり込む困った子ども。
田舎ではおばあちゃんのお手伝いをして、元気を分ける子ども。さらには身寄りのないおばあちゃんの生活に異常がないかチェックするきっかけにもなる。
行動は変わらなくても、環境が変わることで、これほどまでに変わります。
そう考えると、「障害」はその子どものことを指すのではなく、子どもの特徴と環境が合わないことを「障害」と呼ぶのではないでしょうか?
車椅子で考えても一緒です。
車椅子を使う方にとっては、階段しかない環境は移動ができないという「障害」ですが、スロープやエレベーターがある環境では移動について「障害」はありません。
まとめ
障害について考えてみました。
障害を「個人」として捉えるか、「社会」として捉えるかは「医学(個人)モデル」と「社会モデル」という形で考えられています。
これらについてはブログで詳しく解説していますので、よければご覧ください。
障害について「社会モデル」と「医学(個人)」モデルから考える
また、機会があればみなさんと一緒に色々なことについて考えていきたいと思います。
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