藤栄道彦さんと能川元一さんのアレとか
藤栄氏のツイートを私はどう読み取ったか
藤栄氏がどういう意図で言ったかは私には不明なのであくまで私の勝手な解釈で以下書いていく。このツイートは私には充分に理解できるツイートだ。
「人権」「自由」「平等」「正義」という【概念】との【戦いの世紀】になると言っているのであって、なにも「人権」「自由」「平等」「正義」そのものを全否定しているのではないのだろう。
これらは、藤栄氏のいうように【一見人間にとって口当たりがよく素晴らしい】。
なので、それらを旗(理念)にして掲げやすい。
そしてその旗(理念)をぶんぶん振り回してるうちに、旗(理念)で人を叩きのめそうが突き殺そうが許されてしまうような錯覚に堕ちいる人々が出てくるのも珍しくはない。社会運動にはありがちな話である。それがリアルタイムで起きているのが、今のアメリカのAntifaなどの暴徒化だ。
そのような”用法上の凶器”となってしまった旗(理念)は叩き折って、我々の現実的な平穏な暮らしを、現実的な手法で大事にしてゆこう。
それが藤栄氏の言う【戦い】であり【大切にすべきは『現実』なんだよ。理念じゃない】という言葉なのだと私は読んだのだが、果たして藤栄氏がそういうつもりだったかはわからない。ただ、私にはそう読める。
それにつけても意味不明な能川氏のツイート
そんなわけで能川氏が藤栄氏に対して「じゃ、そのあなたの『理念』をさっさと捨ててしまうとよろしいかと」と投げかけたのは、横から見ていて全くもって意味不明だ。
藤栄氏も「読解不可能」とのこと(笑
そもそも「そのあなたの理念」って何を指しているのかもさっぱりわからない。まさか「「人権」「自由」「平等」「正義」は理念!それを全否定しやがって!藤栄め!」と考えているのだろうか?
その他のパヨクさんもハッスル
【いやそのりくつはおかしい】と言いながら、りくつにもなってないおかしなツイートをドヤ顔でしまくることで有名なパヨクツイッター民の九郎政宗氏も平常運転で藤栄氏に挑む。
そもそも藤栄氏は概念が不要などというツイートをしていないので、「概念なしにどうやって現実を認識するんだろう」とかしょっぱなからおかしい。
勝手に全日本人を代表して「現実の日本人は自由や平等や正義という理念を「素晴らしい」などと全く思ってない」と断定してるのでりくつになってない。
【いやそれりくつになってないしおかしい】である。
南無阿弥陀仏。
他にも、このような
何を言っているのか解読が永遠に不可能なパヨクさんもいる。「差別」「偏見」と「利害」「忖度」を横並びにする光景は初めて見た。ツイッター珍百景。
南無阿弥陀仏。
脱線:「人権」についての私の考え
人権や天賦人権説を私は「フィクション」と捉えている。
こういうとまるで人権を軽視してるように受け取る連中がいるが、私からすればどういう理屈でそういう早合点になるのか不思議だ。
人権はフィクションだからこそ、大勢が熱心に共有しないと霧のように消えてしまいかねない。だから大勢で大事にしよう、というのが私の結論。
その上さらに「天賦」というドラマティックなフィクションを重ねる必要はないでしょ、ってこと。
そうして、人権を「大勢が熱心に共有」して「大勢で大事にしていく」のだから、さまざまな人のさまざまな種類の人権同士がぶつかり合うのを現実的に調整してゆくことがマジ重要となってくるわけです。私の考えでは。
たとえば今のアメリカで見られるような、黒人の人権のためなら暴徒化して町の人の人権を侵害してもいいというような一部の動き。こんなものは人権を「大勢が熱心に共有」して「大勢で大事にしていく」に逆行した愚劣の極みなわけです。私の考えでは。
話しを藤栄氏のツイートに戻す
藤栄氏のツイートが私には充分に理解できるというのは、つまりそういう点。
「大切にすべきは『現実』なんだよ」は、我々の人権等を重視すればこそ現実的な調整を大事に考えているのだろうと読み取ることだってできる。
おそらく藤栄氏に噛みついてるパヨクたちの一部はわかってるはずだ。藤栄氏が人権等そのものを全否定しているのではないのを。
それでも噛みついてしまうのは、内心、焦りや苛立ちがあるのではなかろうか。
" アメリカのAntifaなどが暴徒化が酷くなり、批判が高まってきた。せっかく黒人差別反対という立派な旗を使って暴れられると思ったのに。これでは、日本で今まで反差別の旗を気持ちよく振り回して誰かを叩いてた自分達への人々の目も厳しくなる… "
そういう焦りと苛立ちが藤栄氏に向けられたのではないだろうか。
私も、もっともっとそういう連中を苛立たせてゆきたい。平穏な我らの日々を保持するため予防的に。