ホテル療養日誌(3)
しかし、コロナで発熱した状態でホテル療養に入所して、最初にやらなければならないことが、清掃だとは思わなかった。これまでの入所者の残した髪の毛や食べかすなどがこれほど室内に散乱・蓄積されていることから、療養者の退所後に次の入所者を迎えるまで、室内の適切な清掃がなされていないことは明らかで、衛生管理のマネジメントが心配だ。PCR検査の結果は100%ではないし、下手をすると、偽陽性で入所することになった人がホテルの部屋を介して本当に感染するということにもなりかねない。
なぜ、こんな状況なのか? 誰か、Twitterやブログで問題提起していないのか? と思って検索しても、ほとんど情報は出てこない。なんとなくいろんな記事を眺めていて感じたのは、入所者はこうしたことに対して声を上げにくい社会構造があるのかもしれない、ということだ。
コロナの療養に関して、施設やシステムに対して何かしら不満や苦情を申し立てるようなツイートや記事のリプ欄を見ると、まぁ、荒れている。「まず、コロナにかかったあなたの不注意を反省すべき」「無料でご飯もベッドも与えられて、それ以上求めるなんて、贅沢すぎる」「それらがすべて税金で賄われていることを忘れるな」といったようなコメントに、溢れている。
でも、誰もコロナにかかりたくて罹っているわけではないし、僕も今までずいぶん気をつけて生活してきてなんとか生き延びてきたけれど、ついに罹った。僕は、いわゆる自己責任論は、好きではない。というか、「自己責任」という言葉の意味が、よくわからない。「責任」というのはもともと、英語のresponsibilityという概念を明治期に日本に導入する際に当てられた訳語であり、個人的には誤訳と言ってもいいレベルの訳語だと思っている。応答能力とか、応答可能性とか、そんな日本語の方が、しっくりくる。
私の元に、コロナがやってきた。いよいよ自分の番が来たということだ。その事態に応答能力を発揮して、自らの身体、置かれた環境、関係しうる他者に対し、できる限りの応答性を発揮していこうと思う。もし、東京都福祉保健局の方がこの記事を読まれることがあったら、私の後に療養に入る人たちの健康のためにも、この記事を何かしらの参考にしていただけたら幸い。
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