スティーブン・バチェラーさんを迎えて
11月、仏教思想家のスティーブン・バチェラーさんが来日をされ、週末には築地本願寺で行われた対談の機に立ち合った。
彼は「セキュラー・ブディズム(世俗的仏教)」の提唱者で、チベット仏教や韓国の禅仏教の僧侶として10年以上にわたり修行を重ねて来られた方だ。現在は僧侶としての活動はされていないが、宗教を超え、世界各地の人々に仏教の考え方や世界観を伝えている。
「セキュラー(secular)」とは「世俗の」と訳されることが多いものの、「世俗」という言葉自体、その意味する範囲は多様で捉えにくい。「secular」の語源を辿ると、「時代に応じた」といった意味合いに当たるらしい。仏教が2500年前のインドを起源に、時間と場所をわたりながら、その広がりに応じて解釈の仕方や伝わり方が多様に生まれたように、その過程で常に問われているのは、「今を生きる私たちの日々の暮らしに、いかに生かされるか」ということだろう。スティーブンさんは、そのことをあえて僧侶の姿を取らず、世界各地の方々と共に探求されている。
仏教が示す「四聖諦(ししょうたい)」とは、苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)という4つの「諦」を表す。「諦」とは、迷い苦しみを生む英語では「Four Noble Truths」と表現されるが、「諦/Truths」について、スティーブンさんは「タスク」と捉え、説明されている。
こうした仏教の知恵は、ともすれば、思考で理解する「教義」に収まりがちだ。どうしたら、私たちの日々の行動(アクション)が伴うこと(=できること=タスク)として暮らしや人生に取り入れ、活かせるか。これは、私を含むすべての現代の僧侶にとっても共通のテーマだろう。
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今回の築地本願寺での対談をはじめとする一連の旅は、創立100周年を迎えた武蔵野大学の記念プロジェクトの一環で実現した。
これまで、チベット仏教や禅宗から仏教を学ばれてきたスティーブンさんに、ぜひ、今回を機に浄土真宗や親鸞の教えにも触れていただきたいと思っていた。滞在中は、浄土真宗本願寺派の本山である京都・西本願寺や、親鸞聖人が20年間修行をされた比叡山へご案内したほか、浄土真宗の僧侶の方々との交流の機会もご一緒いただいた。
親鸞聖人は、もともと僧侶でありながら、否僧否俗(「僧侶」でもなく、僧侶ではないいわゆる「俗人」でもないところ)に身をおいて、世俗の暮らしをしながら念仏の仏道を生涯歩まれた方だ。そうした親鸞の伝える仏教は、自身のテーマ「セキュラー・ブディズム」の系譜に自然と接続していることを、一連の体験を通して感じ入ってくださったようで、「親鸞聖人は、世界で最初のセキュラーブディストなんじゃないか」ーーそんな洞察を、私たちに共有してくれた。
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